先生!~読書伝聞帳(5)『弟子』~

f0084436_2192199.jpgこんばんは。大宮です。
新卒で入った会社を1年で辞め、次の会社は10ヶ月で辞め、02年3月からフリーランスで働いてきました。もう7年も経つのか……。
成功も失敗も自分に帰することができるこの働き方、神経質な僕には合っていると思います。

でも、ときどき会社員というか組織人がうらやましくなることがあります。
収入や身分が安定しているからではありません。
「先生」と呼べる立派な先達と一緒に働けているからです。

尊敬できない先輩ばかりに囲まれている職場もあると思いますが、ちゃんとした組織には「人が人を育てる」風土と制度が定着しているはずです。
工場などの現場では特にそうだと思います。

僕にも尊敬できる業界の先輩はいますが、組織における先輩とは関係性が違います。
チームで働くことはあっても、それぞれが独立したプロであり、師弟関係はありません。
たまに勘違いオジサンが説教してくることもありますが、そういう人に限って実力はないんですよね。
本当にすごい人は威張らないし、淡々としています。「今後もお互いがんばろうよ。じゃ!」みたいな。

では、僕が憧れる師弟関係とは何なのでしょうか。
単に業務スキルを教えてもらうだけ、ではない気がします。

中島敦の短編『弟子』(新潮文庫『李陵・山月記』所収)は、孔子の弟子である子路が主人公の物語です。
実務能力は高いけど純情すぎる男、子路。著名な孔子にケンカを売りに行ったら、その「すごさ」を目の当たりにし、心酔してその場で弟子になっちゃうという愛すべき人間です。

<後年の孔子の長い放浪の艱苦を通じて、子路程欣然として従った者は無い。それは、孔子の弟子たることによって仕官の途を求めようとするのでもなく、又、滑稽なことに、師の傍に在って己の才徳を磨こうとするのでさえもなかった。死に至るまで渝(かわ)らなかった・極端に求むるところの無い・純粋な敬愛の情だけが、この男を師の傍に引き留めたのである。嘗(かつ)て長剣を手離せなかったように、子路は今は何としてもこの人から離れられなくなっていた。>

すごいな、と心底思った人の傍にできるだけいること。
それが本当の師弟関係だというのでしょうか。
出世のためでも自分磨きのためでもないとしたら、何のために?

<如何なる場合にも絶望せず、決して現実を軽蔑せず、与えられた範囲で常に最善を尽くすという師の智慧の大きさも判るし、常に後世の人に見られていることを意識しているような孔子の挙措の意味も今にして始めて頷けるのである。あり余る俗才に妨げられてか、明敏子貢には、孔子のこの超時代的な使命に就いての自覚が少ない。朴直子路の方が、その単純極まる師への愛情の故であろうか、却って孔子というものの大きな意味をつかみ得たようである。>

僕たちは何のために働くのか、よい仕事とはどういうものなのか。
一人で悶々と悩んでも、ノウハウ本にすがっても、なかなか答えは出ません。
かといって、疑問を放棄して「稼ぐが勝ち」と思ったら、人生を見失ってしまいそうです。
敬愛する先生の傍に居続ければ、いつか「判る」のでしょうか。

この人と付き合っていても、お金にはならない、スキルも向上しない。でも、何か大切なものが少しずつわかってくる予感がする……。
そんな感覚が得られる人を「先生」と呼ぶのであれば、組織人でない僕にも先生はすでに数人いる気がします。
できるだけ頻繁に先生のもとへご機嫌伺いに行こう。
by jikkenkun2006 | 2009-04-11 02:10 | 週末コラム | Trackback | Comments(0)
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