「誠意」と「作意」の人間関係

こんばんは。大宮です。
先日、銀座でホステスをしていた経験のある慶子さん(仮名)と食事をする機会がありました(ランチですけどね)。
ホステスとライターには「公私混同」という共通点があります。
仕事上の知り合いとプライベートに仲良くなったり、昔からの友人に仕事の協力をしてもらったり。
まあ、そういうグチャグチャな感じが好きなのでライターを続けているわけですけど、ときどき「俺にとって友だちって何? 利用できる知人にすぎないのでは?」と思い悩んで凹んでしまうのです。
で、慶子さんに聞いてみました。友だちって何ですかと。小学生みたいな質問ですね…。

「9割の誠意があれば、いいんじゃないかな」

しばらく考えた後、慶子さんはこんな答えを返してくれました。
ある人と一緒にいたい、何かしてあげたい、幸せになってほしいという気持ちが9割あればいいということですね。

「もし裏切られても、好きになったことを後悔しない。そう思える相手が『友だち』だと思う」

うーん。そこまで強い愛情を持てる相手って意外と少ないなあ。今まで友人だと思っていたアイツ、単なる知人なのかも…。

ただし、9割の誠意さえあれば1割は作意があってもかまわないという考え方は、ちょっと気楽になるなと感じます。
この人と一緒にいるといろいろ勉強になるなという作意、いつか仕事でお世話になるかもしれないという作意(慶子さんの場合はお客、僕の場合はインタビュー相手)、おいしい手料理を食べさせてくれるだろうという作意。

「役に立たない人とは付き合わない」と言うとすごく功利的に響いて自己嫌悪になってしまいます。でも、「役に立つ」と感じる内容は必ずしも金銭的な利益だけではありませんよね。精神的に高めてくれるという「役」もあります。
そうであれば、友人に対して「役に立ってくれて助かるなあ」という感情を持ってもいいような気がしてきます。前提に「9割の誠意」があるのだから。
まあ、何の役にも立たないアホな友人も多いんですけどね…。

逆に言えば、誠意よりも作意のほうが先立つような相手は、単なる知人、仕事仲間、お客さんだと割り切ってほどよい距離感で付き合えばいいんですね。たまたま同じ場にいたり、一時的に何らかのメリットがあるから今は付き合っているけれど、場やメリットがなくなったら自然と離れていく。できれば、朗らかな印象を残して。またいつか巡り合う日まで。
それはそれで後腐れがなくて爽やかな人間関係といえるのではないでしょうか。
by jikkenkun2006 | 2009-10-25 23:53 | 週末コラム


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