親から贈られた「文化資本」と「性格資本」

こんばんは。大宮冬洋です。
立冬の今日で33歳になりました。
33年前、「海は広いな大きいな」と海マイブームに浸っていた空想科学ライターの父、信光。そのとき生まれた僕。
「冬に生まれた赤ん坊。ところでオイラは海が好き」ということで「冬洋」と命名。単純だなあ…。
一日早く生まれていたら「秋洋」などと名付けられていたのでしょうか。

さて、誕生日ぐらいは両親のことを考えてみたいと思います。
たまたま読み返していた本に面白い記述がありました。
フランス現代思想学者の内田樹(この人も変わった名前なので親近感があります。タツルって読めねーよ)が、ピエール・ブルデューという社会学者が構築した「文化資本」という概念を紹介しています。

<「文化資本」には、「家庭」において獲得された趣味や教養やマナーと、「学校」において学習して獲得された知識、技能、感性の二種類がある。
 家の書斎にあった万巻の書物を読破したとか、毎週家族で弦楽四重奏を楽しんだので絶対音感になってしまったとか、家にしょっちゅう外国から友人が来るので英語フランス語中国語スワヒリ語などを幼児期に聞き覚えてしまったとか、家伝の武芸を仕込まれて10代で免許皆伝を得てしまったとか、家のギャラリーでセザンヌや池大雅を見なれて育ったので「なんでも鑑定眼」が身についてしまった……などというのは前者である。
(中略)
 育った環境で自然に身についた芸術鑑賞眼の持ち主には「余裕」があるのである。「そうとは感じられないうちに早期からはじまり、ごく幼い時期から家庭で行われる体験的習得」を通じて芸術鑑賞の能力を身につけたものと、「遅くからはじまり、系統的で加速された習得形態」を通じて同じ能力を身につけたものでは、作品を前にしたときの「ゆとり」に差が出るのである。>(内田樹『街場の現代思想』文春文庫)


身も蓋もない言説ですが、その通りですよね。
内田氏は、フランスなどはこの「文化資本」の多寡ではっきりと階層化された社会であると指摘し、現代日本も次第に階層社会(経済格差社会より深刻)になりつつあると危惧しています。
では、どうすれば昔ながらの日本社会を保てるか。知りたい方は上記の本を買ってください。

僕は日本社会ではなく我が身を振り返ります。
貧しかった大宮家には楽器や有名絵画はありませんでした。友人知人を招くような部屋もなく、家族での海外旅行経験もありません。茶道などの伝統芸能に触れる機会もなかったなあ。

で、今になっていろいろと習い事をしているのですが、「着物で抹茶を立ててモテたい!」とか「キリスト教をざっと学んで宗教画のウンチクを言ってみたい!」などという下心が先立ってしまい、自然に身につけることができません。
母親が華道の師範だとか幼い頃から教会に通っていたような人は、かもし出す雰囲気が違いますよね。聞きかじったような知識を披露している自分が恥ずかしくなります。文化資本パワー、恐るべし!

大宮家のほぼ唯一の文化資本といえば「読書習慣」ぐらいです。
あばら家の床がひしゃべるほどの膨大な本に囲まれ、両親ともに読書と談笑が好きでした。
何にもないけれど本と笑いだけはある貧乏生活。あれはあれで楽しかったな…。
そのおかげで僕は、言葉を売る職業で細々と稼ぎ、ほぼ満足して生きていられるのでしょう。親に小さく感謝。

文化資本の話からはずれますが、もう一つ親からもらったものがあります。
「ズル賢くなれない」という性格資本(いま造った言葉ですけどね)です。

僕は人並み以上に自己愛と嫉妬心が強く、基本的には他人の幸せなんかどうでもいいと考えています(文章にするとホントに嫌なヤツだな…)。自分が相対的に幸せになるためなら、他人の不幸を密かに願ってしまうこともあります。大好きだったあのコの結婚式では、「早く離婚して俺のところに来ますように」と魔神に祈っちゃったなあ。
そんな僕が非道に染まりきらないのは、「ズル賢いのは不潔」という両親から植えつけられた性格資本がストッパーになっているからです。

誰かを貶めるために巧妙な噂をばらまくとか、自分主催の会合(合コンとか)で自分だけがオイシイ思いをするとか、強きをたすけ弱きをくじく、などのズル賢い言動をやりたくてもできないのです。

いや、ズル賢くなることもありますよ。でも、必ず激しい自己嫌悪に襲われて自滅します。
中学校時代にはいじめをしたことがあります。しかし、最終的には嫌になっていじめられっ子をかばい、今度は僕がいじめのターゲットになってしまいました。
会社員時代、ダメ社員だった自分を棚に上げるために、より仕事のできないスタッフの陰口を楽しんでしまったことがあります。数ヵ月後に我に返り、僕はその会社を辞めました。
フリーライターになってからも同様です。権力があって威張っている人に一時的にはすり寄るものの、次第に自分が嫌になって爆発し、わざとその人を挑発するような態度をとって不要な恨みを買っています。

「ズル賢いのは不潔」という性格資本は、この日本社会においては必ずしも有益ではないのかもしれません。むしろ、だんだん孤立するんですよ。最初は雰囲気に流されているくせにいきなり潔癖になったりすれば、周囲から疎んじられるのは当然です。それでも辛抱強い友だち(僕と同じ性格資本を持っている人が多い)は残ってくれますけどね。

処世術的には足枷でしかない、この性格資本。でも、「ほんとうに人間らしく生きる」ことを目指すならば、これ以上の贈り物があるでしょうか。
立冬は寒く厳しい季節の到来を告げています。遠い昔、親から受け取ったはずの誕生日プレゼントを改めて自覚し、孤立の痛みを恐れず、しぶとく楽しく生きていきたい。
by jikkenkun2006 | 2009-11-07 03:38 | 週末コラム


<< 川場村に行きました 自炊を休みました >>