知り合い、友達、親友

こんばんは。大宮です。
フェイスブックを始めて1週間ほどが経ち、自分の人間関係を振り返る機会に
なっていると感じています。
同SNSは実名が基本なので、登録した途端に次々と知り合いを発見し発見される
ような仕組みになっています。出身校やメールのドメインで自動検索しているので
しょうか。すごい技術だな…。で、相互承認によって「友達」の輪が広がっていきます。

ただし、語弊を恐れずに書けば、「友達リクエスト」を送ってくれる人の半分ぐらいは
友達ではありません。だから「承認」せず消しています。ごめんなさい。

ええっと、もし僕に友達リクエストをくれた人がこのブログも読んでいたら、かなり気分を
害しますよね。悪意はなくて、「友達」という言葉の定義の問題だということを以下で
述べたいと思います。

僕にとっての友達とは、「二人きりで食事したい人」です。
朝食を目標に起床し、昼食を目標に仕事場に向かい、夕食を目標に働いている僕は、
食事が本当に楽しみなのですよ。
できれば気の合う人と一緒に食べたい。そのほうがおいしく楽しく感じるから。
年齢や職業、性別を問わず、一緒に食べながらおしゃべりすると楽しい人と
そうでもない人がいますよね。
おそらくお互い様なのだろうと思います。こちらが「楽しい」と感じていたら相手も楽しい
はずだし(違ったら悲しいですね…)、こちらが「つまらん。一人で食べるほうがマシ」と
感じたら相手も同じ気分だと思います。
だったら、無理に一緒にいるべきではない。

僕に「友達リクエスト」をくれた方、あなたは僕とサシ飲みしたいですか?
マンツーマンですよ。逃げ場はありませんよ。
僕の生理的行為(飲んだり食べたり)を間近で見なければなりませんよ。
きっと「そこまでしたくない。単なる知り合いだから軽くリクエストしてみただけだよ。
この自意識過剰男め!」というお返事だと思います。

フェイスブックの使い方として、あなたと僕のどちらが正しいのかを議論するつもりは
ありません。おそらく僕のほうが間違っているのだと思います。
でも、僕は「友達」という言葉を使う限りは厳密にやりたいのです。神経質ですみません。

考えてみれば、「知り合い」は選べませんよね。
僕は毎日のように新しい人に会いまくるのが仕事のライターなので、知り合いはどんどん
増えていきます。
プライベートでも同窓会などの幹事をすると出席者すべてが知り合いになったりします。
しかし、そのほとんどが駅前ですれ違うレベルの他人でしかありません。何の感慨も抱かない。
長い間知り合いだったとしても(例えば学生時代からの知人)、決して友人ではありません。
もしも彼が困っているという噂を聞いても、新聞記事の他人事でしょう。ま、お互い様ですよね。

でも、中には「この人とはサシ飲みしても楽しそうだな」と感じることがあります。
友達を選び取るというか嗅ぎ取るタイミングですね。
もし彼が困っていたらできる範囲で手助けをしますよ。3千円ぐらいなら寄付もします。
僕の場合、「責任感があって」「気遣いができて」「一人きりでも行動できる」という
三拍子揃った大人を選ぶことが多い。自分が子どもだからなのかもしれませんが…。
つまり、「友達」は選べる。
編集者などの仕事仲間も含めて、僕は友達を選びます。そのためにフリーランサーになった
ようなものなので、この自由は絶対に手放しません。

ただし、「知り合い」と「友達」の境界はかなりあいまいです。
目をこらすと、毎月のように両グループ間で行き来があるような気がしています。
ちょっとした一言で「知り合い」が「友達」になったり、逆に「友達」と疎遠な関係になってしまったり。
だから、フェイスブックで「友達リクエスト」をしてくれた「知り合い」とも、いずれ「友達」になる
可能性も大いにありますよね。その際はよろしく!

では、もっと厳密な意味での「友人」、すなわち親友はどうでしょうか。
親友は選べないと感じています。
なぜなら、どちらかが「かなり困っている」ような状況に直面しないと、彼が友達なのか親友
なのかはわからないからです。

僕にはDくんという高校時代からの親友がいます。最初は単なる知り合いで、ある同窓会の
運営を一緒にやるようになってからは友達になりました。
で、一歳年上である彼が会社員になり、いきなり僻地の事務所に配属され、とても落ち込んで
いた時期がありました。
からかい半分で電話をしたら、普段は飄々としている彼が「トウヨウ。オレ、ダメかもしれない」と
蚊の泣くような声で言うのです。
その瞬間、首の辺りから目までが熱くなるのを感じました。何も考えずに、なけなしの貯金を
はたいて飛行機に飛び乗り、彼の住む街へ直行して生活改善を手伝いました。
僕にしては驚くべき行動力です。
「できる範囲で手助け」なんかじゃない。「なりふり構わず徹底救援」ですよね。
彼が単なる友達だったら、「大変そうだね~。グッドラック!」と電話を切って済ませたことでしょう。

「知り合い」と「友達」の振り分けは頭で判断できます。
そして、両者を分けておくことは重要だと僕は思います。それができないと、孤独を恐れて単なる
「知り合い」たちと飲み食いに出かけるようになり、貴重な食事時間が台無しになりかねません。
でも、「親友」が誰かは事前にわからない。困難な状況下で自分と相手がどんな行動をしたのかを
事後的に振り返ることでしか「親友」は現出しない、とも言えますね。
おそらく親友はDくんも含めて3人ぐらいしかいない気がします。
あと2人が誰なのか。知る必要がないし、知りたくもありません。
by jikkenkun2006 | 2011-08-07 23:58 | 週末コラム | Trackback | Comments(6)
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Commented by AK at 2011-08-08 20:16 x
子供の頃から親の仕事で何回も引越しをし、友達に関しては「去る者は日々に疎し」を地で行ってましたので、長ずるに連れ自分はlonerなんだろうと思って、友達に関してはかなり淡白になってしまいました。でも、現在進行形で付き合いのある先輩、仲間は大事してるので、その辺りはトウヨウさんの考え方がわかるような気がします。何が正しい、なんていうのはないんでしょうね。突っ込んでいきたい人とはそういう付き合いをすればいいし、現状そうでない人は無理のない楽な関係を続ける、あるいは悪意のない無視を貫くってことでいいんじゃないかと思います。
Commented by jikkenkun2006 at 2011-08-08 20:35
>AKさん
コメントありがとうございます。「悪意のない無視を貫く」、いい表現ですね。なんだか力をもらいました。
Commented by Always Love at 2011-08-09 07:19 x
いつもこそっり楽しく拝読しております。この「友達」に関しては、全く同意見です。私もそれでフェイスブックのアカウントはもってませんし、全くそういうものを使用してない者です。どうして1000人の知り合いが必要なのか理解できず。連絡したい人は自分からメールするので、そのような媒体でやり取りする必要はないと考えております。大切な人はいつも自分から連絡しているつもりです。友達、少ないかもですが、それで満足です。
Commented by jikkenkun2006 at 2011-08-09 22:00
>Always Loveさん
コメントありがとうございます。まったく同感です。フェイスブック、どのように活用していこうかな…。
Commented by もうすぐ at 2011-08-15 02:12 x
なんか妙に共感してしまう内容でした・・・。
わたしも、皆にツイッターやフェイスブックを勧められているのですが、なんだかお腹いっぱいなかんじなんですよね。
人とのつながり方は、選ばせて欲しいですよね。





Commented by jikkenkun2006 at 2011-08-15 22:46
>もうすぐさん
コメントありがとうございました。「選ばせてほしい」、とても共感します。選べないものが多い人生、友達は選びたいものです。


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