隣に座ってもいいですか

 こんばんは。大宮です。
 どういうつもりか知りませんが、学生時代に大好きだった女性がこんな引用文のある手紙をくれたことがありました。

「ぼくら以外のところにあって、しかもぼくらのあいだに共通のある目的によって、兄弟たちと結ばれるとき、ぼくらははじめて楽に息がつける。また経験はぼくらに教えてくれる、愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだと」(サン・テグジュペリ『人間の土地』新潮文庫)

 当然のことながら若い僕は勘違いしました。これってラブレターだよね。僕と愛し合いたいってことだよね? もちろん、イエスだよ。イエスイエスイエス! やったぜ、ついに想いが叶った……。
 しかし、手紙の最後には牽制球のようなイラストが描いてありました。僕と飼犬(コロ)が並んで、同じ方向を見ている図です。え? 私じゃなくてコロと愛し合いなさいという意味なの?

 彼女の本意はいまだに謎ですが、この引用文自体は最近思い出して共感しています。誰かと二人きりで会食するとき、向かい合って食べると居心地が悪いことがあるからです。

 向かい合うと、話題がお互いのことになりがちです。僕がA子さんにインタビューして、次にA子さんが僕にインタビューするという構図。相手のことを知るには効率的なのかもしれませんが、知れば知るほど自分との違いが際立ち、勝手にイライラしてしまうこともあります。鏡に映った人間が自分そのものではないことに苛立つような子どもっぽい心理です。

 カウンターなどで隣り合って座ると、目の前に相手は見えません。一人で料理を食べているという前提になります。料理の美味さとか今日の出来事を独り言のようにつぶやくと、隣から声が聞こえてきます。僕のつぶやきに共感してくれることもあれば、全く別の意見を言うこともあるでしょう。他者なんだから意見が違うほうが普通です。ただ、ある話題という方向を誰かと一緒に見ている実感だけは残ります。
 あまりに意見が違ったりすると愉快になって肩をぶつけ合うでしょうし、たまに気持ちがぴったり合えばちょっとだけ相手の目を見つめてしまうかもしれません。そして、また一人に戻り食事を続けるのです。

 ときどき人間関係がわからなくなることがあります。一人でいるのも寂しいけれど、誰かと向き合って違いを感じるともっと寂しい。
 一人きりで食事を楽しみながらも、隣り合わせた他者の存在も喜べるような関係が理想なのかもしれません。
by jikkenkun2006 | 2006-08-13 23:55 | 週末コラム | Trackback | Comments(3)
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Commented by fumie at 2006-08-16 17:55 x
「愛するということは」というのを「結婚とは」と置き換えたバージョンで、この一節を聞いたことがありました。「結婚とは、お互いに顔を見合うことではなく、片手をつないで同じ方向を見ながら歩くようなもの」という感じです。若いときって、両手つないで、お互いの顔だけ見つめ合う、みたいな恋愛をしがちではないでしょうか?でもそうすると、歩くことはできなくなっちゃうんですよね。・・・・・・もしかしてもしかして、実験くんの大好きだった女性はそのことを指摘したのかしら?深読みしすぎだったら、許してね~。
Commented by さかなや at 2006-08-16 21:55 x
以前、男友達に「付き合うのは同じ目線の高さの人がいいよね。」って話をした覚えがあります。
それは仕事や暮らしやその他もろもろ価値観が近い人、っていう意味での発言でしたが、それに近い著名人の発言を見つけられて嬉しいです。
同じ目線の人を見つけるのは難しいですけどねー。
Commented by jikkenkun2006 at 2006-08-16 22:23
>fumieさん
鋭い分析ですね。そうなのかもしれません。いや、きっとそうなのでしょう。手をつないで同じ方向を見るだけで満足する恋愛をできる人になれますように……。

>さかなやさん
僕は、自分と価値観は似ているのに別のところを見ているような女性に惹かれてしまいます。


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