感情が見えない

 こんばんは。大宮です。
 今日のお昼ごろ、東京は集中豪雨と落雷注意報が出ましたね。二日酔いで寝ていた僕も、空を引き裂くような落雷の音で目が覚めました。動物の心を呼び覚ますような自然の猛威をちょっと感じ、二度寝しました。

 都会で暮らしていると、動物の心はおろか人間の心さえも忘れることがあります。朝の満員電車では、周囲の人を思いやっている余裕などありません。遠慮していたら乗降すらもできない状態ですからね。

 満員電車だけではなく、この企業社会で働くということは人間らしい感情を押し殺すことを求められているように感じます。特に、ピラミッド型で厳しい人事管理システムを持っている組織では、本心を出さないことが「大人のマナー」のようです。

 以前、某メガバンクの人事部にインタビュー取材をしたことがあります。ご存知の通り、銀行は前述のような組織の代表格です。人事部はその中核ともいえます。最初から嫌な予感はしていたのですが、会った瞬間に「気持ち悪い」と感じてしまいました。

 相手の感情がまったく見えないのです。何を聞いても、微笑を浮かべたまま書類に書いてあるような答えを繰り返すだけ。マスコミの人間に対して警戒するのはわかりますが、それにしても表情が無さ過ぎます。
 質問内容が気に食わないのならば怒ってくれてもいい。くだらない質問だと思うならつまらなそうにしてほしい。でも、好きなのか嫌いなのかという基本的な感情さえもわからない。スーツで身を固めたロボットと会話しているような薄気味悪さを覚えました。

 僕は銀行だけを批判したいのではありません。高度にシステム化された企業社会の「感情を殺すマナー」に反対したいのです。他人への気遣いを装って自分の身を安全に保ちたいだけなので、マナーではなく処世術と言ったほうがいいかもしれません。

 確かに、物事を効率的かつスマートに進めるためには、感情を押し殺して淡々と振る舞うのが一番です。周囲からも評価されるでしょう。
 しかし、一日の大半をそのように過ごすことは人間らしい生活だと言えるのでしょうか。溜め込んだ感情を爆発させるかのように居酒屋などで傍若無人に騒ぐ人たちを見るたびに、この社会のいびつさを感じざるを得ません。「飲みニケーション」などと言って居酒屋で本音を探り合っているのかもしれませんが、アルコールの力を借りないと感情を出せないような関係は不自然だと思います。

 スマートに処理できる場面であえて意見を言い感情を露わにすることは、ハミダシ者になる危険を伴います。悲しみ嘆くことになるかもしれません。でも、酒がなければ人間に戻れない「成功追求ロボット」になるよりは絶対にマシです。

《かなしみすらいきるよろこびだと あったこともないてんしはいう おこったように》
(谷川俊太郎『クレーの天使』より)
by jikkenkun2006 | 2007-06-10 23:52 | 週末コラム | Trackback | Comments(2)
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Commented by のりすヶ at 2007-06-12 19:51 x
都会の企業社会で6年間働いたのですが、とうとう「成功追求ロボット」になりきれませんでした。遅まきながら、もっとダイレクトに働く喜びを感じられる職業を目指し始めました。(30代前半、女です。)

私は「成功追求ロボット」の哀しさやいじらしさも分かるので、正面切って批判しにくいです。ロボットたちがこの社会を動かし、私を成長させてくれたことも確かなのです。

もうすぐ実験君側の世界に行きます。ロボットの世界に戻りたくないけれど、反対側の世界からロボット達を応援できるような仕事をしたいな。
Commented by jikkenkun2006 at 2007-06-13 23:33
>のりすヶさん
コメントありがとうございます。ただ、サラリーマンでもフリーランサーでも同じく企業社会にいると思います(銀行はとりわけ異常ですが)。少なくとも都市部で暮らす限りは「日本社会=企業社会」ですよね。むしろ、立場が弱い分だけ僕たちのようなフリーランサーのほうがロボット化する危険は大きいかもしれません。喜怒哀楽の感情を忘れない、いい意味で尖った大人になりたいです。


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