こだわりのない生活

こんばんは。大宮冬洋(31歳)です。
30歳になったときは「いよいよ三十路だぜ。オヤジだぜ~」と騒いでいました。
騒ぎながらも心のどこかで「でも、まだ三十代のゼロ歳児だから体の半分以上は20代みたいなものだな」と考えていた気がします。
でも、31歳は待ったなし文句なしの三十代ですよね。
完全に大人の世界です。若いから、という言い訳はもうできません。
足がすくむ~。

では、中年(チュウネンって嫌な響きだなあ)になって何かいいことはあるのでしょうか。仕事場を共有しているバリバリ中年の先輩ライター(49歳)に聞いてみました。

「カツ丼大盛りが食べられなくなる、昔はできた動作ができなくなる、流行が理解できなくなる、いろいろあるよ。え? いいこと? うーん、そうだねえ。こだわりがなくなってくる、ということかな」

僕の聞き違えでしょうか。成熟とは自分なりのこだわりを育てることだと思っていたのですが……。

「若いときはさ、自分のプライドを守るためにいろんなものを嫌ったりするじゃん。大企業に勤めている男なんてつまらないとか、流行歌を聴くヤツなんてアホだとか。何でもこだわるわけ。でも、よく考えると大企業だっていい会社はあるし、そこで仕事を楽しめる人もいる。流行歌だっていい歌はある。年をとると、だんだんそういうことがわかってきて、どうでもいいこだわりがなくなっていくんだ。それでも、一つか二つはこだわりが残る。それを自分の核として大事にすればいいと思う」

なるほど。そういえばそうかもしれません。
例えば、僕は待ち合わせ時間にこだわっています。
基本的に5分前には現地に到着します。相手が約束の時間よりも5分以上遅れるとイライラし始め、15分経過しても携帯電話に連絡がないときは怒って帰ってしまうことも少なくありません。理由のない遅刻やドタキャンが二度以上あった相手は携帯のアドレスから削除することもあります。
お互いの時間を尊重するため、というのが理由です。

しかし、先日、ある老作家のエッセーを読んでいたら、「待ち合わせ場所には1時間以上前に到着しろ。5分前に来た若い編集者をこないだ叱ってやった」みたいな文章が載っていて、呆れてしまいました。古臭いお作法を他人に押し付けるなと言いたいです。
こんなこだわりを増やすたびに自分の殻に閉じこもることになり、いつしか意固地でつまらない老人になってしまうのかもしれません。

僕もあんまり小うるさいことを言っていると、友だちがいなくなってしまうでしょう。相手によって対応を変えるような人はどうしても嫌だけど、会社の会議も寝飛ばすようなヤツが僕との約束にも遅刻するならば大目に見てやろうかな。
自分自身はこれからも約束や時間を守るつもりですが、こだわりを他人に押し付けることで自己主張をするのはやめようと思います。

こだわりの少ないしなやかな姿勢だからこそ、見えてくる豊かな風景があるような気がしています。
by jikkenkun2006 | 2007-11-11 23:58 | 週末コラム


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