受験生活で失ったもの

こんばんは。大宮です。
駅のホームなどで大勢の受験生を見かける季節になりました。
中学2年生ぐらいには早くも「ガリ勉少年」になり、浪人までして大学に入った僕にとって、十代後半の青春時代=受験勉強生活でした。
一日10時間近くも机に座り続けて、暗記したり例文を読んだり問題を解きまくっていた日々。「苦手な数学を2時間勉強したら、好きな世界史を1時間勉強してもいい」という自分ご褒美を作っていたりしました。我ながらいじらしいなあ。

修行僧のような数年間を終えて、得たものは何だったのでしょうか。
中学高校で扱う範囲の知識や思考方法、「やればできる」的な知力面での自信、高校や大学で知り合った友人たち、学歴という社会的武器……。
今でもその恩恵を被っているのは確かです。

しかし、長い受験生活で見失ったものもあります。
いま自分が本当に欲しているものは何かを認識する能力です。

なぜ失ってしまったのか。
「将来の栄光のために今を虚しくする」が受験生活の基本姿勢だからです。
よほど知的好奇心が旺盛で優秀な人でない限り、受験勉強とその他(遊びや恋愛など)を両立するのは不可能だと思います。
そのため、「合格したら素晴らしい生活が待っているのだから、いまはいろいろ我慢してひたすら勉強しよう」という態度を自然に身につけます。
ひどい場合は、親がそのような生活態度を子どもに勧めていますよね。

10代という多感な時期に、何かに集中するのはいいことかもしれません。
しかし、その何かが興味のあることではなく、「より良い」将来を実現するための手段に過ぎなかったらどうなるのか。
自分が本当に関心あることからは目をそらし、受験勉強や他者との競争を「好きだ」と思い込むようになります。
そうでもしなかったら辛くてやっていけないからです。

そして、無事に「合格」をした後、どこかの段階でかつての受験生たちは愕然とします。
俺が本当にやりたいことって何だったっけ? 
自分の欲望を抑えつけることに慣れすぎて、素直に楽しいと思えることは何かだったのかを忘れてしまった。一方で、周囲の目が気になりすぎて、今さら学歴を無駄にするようなチャレンジもできない。
とりあえず、大学受験に代わるような「将来のためのハードル」を見つけて、それをクリアするための努力を始めよう……。

将来を言い訳にして今を充実することから逃げてしまうのです。
しかし、その先には充実した日々は本当に待っているのでしょうか。

期待と不安を胸に秘めながらも現実離れをした遠い目をしている受験生たちを見るたびに、自戒を込めて声をかけたくなります。
受験がすべてじゃないんだよ、と。
by jikkenkun2006 | 2008-02-09 22:35 | 週末コラム | Trackback | Comments(0)
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