麻生久美子に惚れられる男とは?

こんばんは。大宮です。
先日、『カンゾー先生』(今村昌平監督、1998年)をDVDで観ました。
麻生久美子のヌードが見たいという不純な動機だったのですが、「働くとは何か」を問う内容に心打たれました。

第二次大戦末期の日本。小さな漁師町で治療に奔走するカンゾー先生(柄本明)に、幼い兄弟のために売春で稼いでいたソノ子(麻生久美子)が惚れ込む。

「先生は偉い人だ。戦争で、自分のことしか考えていない人ばっかりなのに、先生だけは違う。先生のことが好きになった」

若いながらも芯の通った美女からこんなことを言ってもらえるなんて、男冥利に尽きますよね! 柄本明、おいしい役どころだな。

戦争という非常事態では、自分のことしか考えられない人ばかりになり、だからこそ志高く仕事に取り組む人が眩しく輝くのでしょう。

では、「平和」が続く日本ではどんな人が増えているのでしょうか。

雑誌が「年収500万円以上になる!」といった露骨な特集を組むことがここ数年で非常に多くなった気がします。女性誌も、単純にオシャレを楽しむのではなく、「メチャモテ」ファッションで高収入男を獲得しようという雑誌が売れていますね。
転職市場は相変わらず活況を呈しています(会社に見切りをつけて辞める人がそれだけ多いってことですよね)。
一方で、ネットカフェ難民などを含めた若年ホームレス、その予備軍と言われるフリーターやニート、働きすぎやストレスで心を病んでしまう人、も増えています。自殺者は98年以来毎年3万人を超えています(3万人という途方もない数の人間が絶望の表情で立ち尽くす光景を想像して、怖いというか暗い気持ちになりました)。

戦争下ではなくても、剥き出しの弱肉強食社会になりつつある日本社会。
「毎年3万人も自殺するなんて、これは見えない戦場だ」と指摘する専門家もいます。
このような戦場社会を「自己責任」や「公平」の論理から支持する人もいますが、あまりに想像力が欠如していると感じます。

ホームレス支援をしているNPO法人「もやい」の湯浅誠氏は、貧困とは「溜め(capacity)のない状態」だと定義しています(本田由紀編『若者の労働と生活社会』大月書店)。
貯金という金銭的な溜め、家族や友人という人間関係の溜め、知識などの能力的な溜め、そして、「やればできる」という経験から生まれる精神的な溜め。こうした溜めの有無は努力だけではなく、運によって左右される部分が大きいですよね。

溜めがあるからこそ、人は安心して努力できる。
多少貧乏でも人間関係に恵まれていれば何とかなるから。
しかし、企業や家族が溜めを提供できない場合は、国や自治体が溜めを保証すべきだ。
「自立支援に切り替える」などと称して、社会的弱者への福祉を削減している政府の欺瞞を湯浅氏は鋭く糾弾しています。

溜めを持たない貧困者を自己責任だと言って貶め、格差を固定・拡大しようと自己投資だけにまい進する「成功者」たち。
外見は華やかでも、ソノ子(麻生久美子)のような人からは卑小さを見抜かれてしまう気がします。
そんな中、東大法学部卒のエリートなのに、ホームレス支援に励みながら貧困問題について冷静に発言し続ける(これぞ真のエリート!)湯浅氏の偉さが際立ちます。女性にモテているかどうかは知りませんけど。

戦場化した社会にいるからこそ、数少ない「現代のカンゾー先生」を見つけて良い影響を受けたいと思います。
by jikkenkun2006 | 2008-05-11 01:54 | 週末コラム | Trackback | Comments(0)
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