自炊を休みました

●昼食:ココナツカレー@代官山「EAU CAFE」
●夕食:おにぎりby西荻「セブンイレブン」/タコ卵の塩辛、骨せんべい、鯉の洗い、からすみ茶漬@池袋「坐唯杏」

 母方の親戚が熊本・天草にいると思い出してから、日本におけるキリスト教の歴史に興味を持っています(うちの親戚はお寺ですけど……)。遠藤周作『沈黙』、坂口安吾『イノチガケ』、色川武大『私の旧約聖書』などなど、キリスト教を題材にした書籍も面白いです。
 いまは、椎名麟三『私の聖書物語』(中公文庫)を読んでいます。処女受胎など、聖書の非合理性について作家が大真面目に向き合っているのが微笑ましいです。

<このように、理由がないということは、私を打ちのめした。それは私の一番恐れていたことでもあったからである。なぜならこの人生においてそれだけはほんとうだと思われるものは、大抵理由もなく存在していて決定的な力をもっていたからである。>

 椎名麟三はその例として、生きることや死ぬこと、そして愛することを挙げます。

<愛についても同じである。人類が子孫を残すためにあるのだとか、生物学的な必然性としてあるのだ、などと教えられてきた。そして私もそういわれればなるほどと思う。だが、愛の行動を、自分のせいではなくて、それらのもっともらしい理由のせいだとすると、私は愛する気力もなくなってしまうにちがいない。それでなくても、誰かが自分の愛を三つの理由で説明しだしたりしようものなら、滑稽なものになってしまうものなのだ。>

 愛に理由なんて必要ない、むしろすすんで理由付けを拒むものだと、カッコイイ作家(太宰治とか)が言ったらちょっと鼻につきますよね。お得意の口説き文句かよ、と。
 でも、椎名麟三はいかにも貧相でモテなさそうな風貌をしています(飲み仲間の画家・岡本太郎は彼の名前を文字って「するな貧乏」と愛情を込めて呼んだそうです)。そんな作家が自らの「つまづきの記録」だとする本書。丁寧に読もうと思います。
by jikkenkun2006 | 2008-05-10 23:50 | 食日記


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