女好き(の僕)のための仏教入門

こんばんは。大宮です。
週末の夜だからこんな話をするわけではありませんが、「男と女」にまつわる話って楽しいですよね。
個人名を出すのはマナー違反だと思うので、「○○さんとどうしたこうした」といった話はしませんし、聞きたくもありません。でも、匿名性を確保したうえでなら、どこまででもエッチな話がしたいのです。

先日、船釣りに連れて行ってくれたのも、その方面の話が好きなおじさん二人。
釣りポイントに向かっている船上、暇なのでエロ話をしようかと思いました。
でも、なぜか「場にそぐわないな」という気がするのです。
結局、6時間以上も魚の話に終始しました。

釣り船にはエロ話はなぜ似合わないのか。
ちょっと疑問に思っていたら、仲の良い編集者が貸してくれた本にヒントが出ていました。

<狩猟民の哲学からしますと、動物のいる森の世界は、自分たちに恵みを与えてくれる大いなる女性的な世界でした。そこは生命を生んでくれる母親でもあって、日本でも「山の神」というのは女性のイメージがあるでしょう。すると、狩猟の行為というのは、独身者が自然という大いなる女性の体内に入り込んでいくものだということになります。このとき、狩人には大変に細かく具体的に定められた行動の規定が、必要になってくるのですね。>(河合隼雄・中沢新一『仏教が好き!』朝日文庫)

僕はここまで謙虚な気持ちにはなれません。
ただ、海という大自然から魚を奪うという行為は、恋愛の駆け引きに似た刺激や官能があるように感じました。釣りで成果を出すためには、ガールハント(古い言葉ですね…)話をしている余裕はないのです。
おそらく猟を本職にしている狩人や漁師たちは、長年の経験則で「山や海では女のことを口にしてはならない」といった規範を作ったのでしょう。
そして、その道を極めていくと、自然に対して「大いなる女性」を感じるようになるのかもしれません。

仏教にも同じようなことがいえるようです。
セックスにまつわる細かい戒律があるのは、女性を否定しているのではなく、むしろ理想的な存在としての母性や女性性に近づくためにあるのだと。
前掲書で、臨床心理学者の河合隼雄は次のように語っています。

<母なるものに到達するために、女性に触れるな、触れるな、ということを、道として御釈迦さんが言っていると思うと面白いね>

ということは、漁師や宗教家になるためには、女好きをとことんまで追求する必要があるのでしょうか。面白い!

僕の母方の実家は熊本県の天草島で代々お寺をやっています。
明治の初期に生まれた第11世当主の葦原雅亮さんは、僕にとって曽祖父にあたる人で、かなりの変人だったようです。

生まれ育った島での暮らしに飽き足らなかった雅亮さん、「オレはお釈迦様みたいになりたい。とりあえずお釈迦様級の師匠に付きたい」と10代後半で日本中を放浪。お釈迦様は見つからないけど、すごい人が東京にいるらしいと聞きつける。そして、福沢諭吉の自宅に押しかける。そのまま弟子になり、慶応大学で長らく教職員を務めたが、52歳のとき「そろそろ天草に帰ろ」と思ってお寺に戻り、死ぬまで住職をした、という人物。情熱的というか無計画というか……。

雅亮さんの息子が編んだ自費出版本に、慶応時代の同僚である高橋誠一郎氏がこんな思い出文を寄せています。

<ある時、近松秋江氏の小説の中で、京都の女郎が「お坊さんと学校の先生がいっち助平だ」と体験を物語っている箇所を見つけて面白くなり、すぐ舎監室に出かけて、そのくだりを葦原舎監に読ませると、葦原さんは感心したらしく、持ち前の大声を張り上げて、「なるほど。そうして、わたしは坊主で教師だ!」と叫んだ。>(葦原浩二編『葦原雅亮集』)

曾おじいちゃん、自分で超スケベを認めてどうすんだよ!
雅亮さんは母が高校生のときに亡くなっているので、当然ながら僕は面識ありません。
でも、このエピソードを読んで、時空を超えて親しみを感じました。
焼酎を飲み交わしてみたかったな。

高橋氏は、温かくも客観的に雅亮さんを見つめていたようです。クールなのが慶応ボーイの伝統なのでしょう。

<葦原さんは、大徳とか善知識とかいうほどの名僧ではないが、一面、娑婆気がばかに強いくせに、不思議とどこやらに世俗を超脱したように見えるところがあって、塾の内外で愛され、珍重がられていた。「塾の同窓の中には、かなり坊さんが多いが、死んだらお経の一つもあげて貰いたいようなのが誰かいるだろうか」。ある席で、こんな突飛な問いを出した者があったとき、誰やらが「先ず葦原さんぐらいなものだろう」と発言すると、居合わせた四五人が異口同音に「賛成」と和したことを覚えている。>

あいつは名僧ではないけど、僕が死んだときはお経の一つもあげてほしい。
なかなかいい話ですよね。気のおけない同期って感じがします。

僕はずっと宗教が苦手でした。
自分の人生を他人に預けてしまう気がするからです。
たまに勧誘されたりすると、「お前の弱さに他人を巻き込むな」と反発したくなります。
ただし、宗教が「理想の女性」を追い求めるような夢とロマンがあるものなら、ちょっと興味があります。100年前、曾おじいさんは何を考えたり悩んだりしていたんだろう?
仏教に限らず、キリスト教やイスラム教などの考え方に触れながら、「自分専用の宗教」を作っていきたいです。一般的には、それを「信念」とか「ポリシー」と呼ぶのでしょうね。

日々の飲み会では、恋愛や仕事などの俗っぽい話題が欠かせません。
でも、月に一度ぐらいは世間から離れ、釣りに出かけたり宗教書を読んだりするのも悪くないなと思い始めています。
by jikkenkun2006 | 2008-07-05 01:16 | 週末コラム | Trackback | Comments(4)
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Commented by polynity at 2008-07-31 16:58
はじめまして。大黒学と申します。

> 仏教に限らず、キリスト教やイスラム教などの考え方に触れながら、
> 「自分専用の宗教」を作っていきたいです。

私も、「自分の宗教は自分で作る」という考え方に大賛成です。そして、自分だけじゃなくて、ほかの人たちも自分の宗教を自分で作ってくれたらうれしいな、と思ったので、下記のような文章を書いてみました。ご笑覧いただけますとありがたく存じます。

宗教の作り方
http://www.monotheism.jp/sutra/religion.htm
Commented by jikkenkun2006 at 2008-07-31 23:38
>大黒さん
コメントいただき、ありがとうございます。共感いただきうれしいです。10年後ぐらい、お互い「教祖」になっているかもしれませんね(笑)。
Commented at 2008-08-08 22:23 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by jikkenkun2006 at 2008-08-12 23:37
>hatchさん
コメントありがとうございます。大人になると上がなくなって孤独になる、なるほどなと思いました。そして、自分を超えた大いなるものを求めるようになるのでしょうか。成熟と信仰について、考えてみたくなりました。


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