卑怯でなければそれでよし

こんばんは。大宮です。
仕事でも私生活でも、誉められ過ぎると調子に乗って横柄になり、けなされるとふてくされて根に持ちます。
こんな僕、どうしたらいいのでしょうか。

尊敬する作家、中村うさぎ氏が著書『バカな女と呼んでくれ』でこんな感じの文章を書いていた記憶があります。
「女たちよ! バカでもいい。デブでもブスでもいいんだよ。しかし、卑怯な女にだけはなるまいぞ!!」
煩悩にまみれた自分をさらけ出しながら生きる中村氏の言葉だけに、ビシッと背中に入り込んできた気がしました。

卑怯とは、力のある人には媚びへつらい、力のない人は踏み付けにするような様を表現する、大切な言葉だと思います。

そろそろ忘年会シーズンですね。
今年は友人の結婚パーティーが2件も入っているので、12月は様々な形態の宴会に出席することになりそうです。
誰もが楽しんでいるかに見える宴会でも、小さな「卑怯」が出現することがあります。
それは、ホスト役とその取り巻き(宴会強者)だけがワイワイ楽しみ、その他の出席者(宴会弱者)は観客のようになってしまう場合です。
すべての出席者と面識のあるホスト役は、やろうと思えば「王様」になれます。自分のスピーチばかり長々と述べ、面白い人とだけ話し、かわいい女性を独占する、みたいな行為が可能です。
しかし、それは卑怯というものです。
ホスト役には、すべての出席者が寂しい思いをせずに過ごせるように努力する責任があります。
その責任から目を背け、自分だけが楽しもうとするのは幹事失格だと思います。

僕がいる出版業界で「卑怯」の例を挙げれば、広告タイアップ記事があるでしょう。
「問い合わせ先」や「特別企画」という表記があり、広告であることを読者に知らせてある広告記事には問題ありません。
しかし、何の表記もなく、普通の記事と見分けのつかないような体裁で載せてあるのに、実はスポンサーから金をもらっている記事がたくさんあります。
一部の女性ファッション誌などは、どれがタイアップ記事でどれが純粋な編集記事なのか全くわからず、もしかすると誌面全部が広告なのではと思うほどです。
だったら「カタログ」だと告知するべきでしょう。

このタイアップ記事の何が卑怯なのかといえば、情報強者である企業と企業(僕のような出入り業者も含めて)が手を結び、情報弱者である読者を食い物にしている点です。
いまどきタイアップ記事なんかにだまされて商品を買うほど雑誌を信用している読者は少ないかもしれません。
しかし、そのような読者を想定して商品を売ろうとしている企業と、そのお手伝いをしてお金をもらっている広告代理店や出版社、その他の「ありかた」が卑しいのです。

こんな風に書いていますが、僕もしばしば卑怯になります。
宴会の幹事なのに女性参加者とばかりウホウホ楽しくやってしまうこともあります。
高額のギャラに目がくらんで広告タイアップ記事を請け負ったこともありました。
今後も、一切卑怯なマネはせずに生きていく自信はありません。
ただし、卑怯なことをしてしまったら、恥ずかしいと思って反省する視点だけは忘れずにいたいと思っています。どこかに神様がいるのだとしたら、それだけをお願いしたいです。

逆に言えば、卑怯でない限りは何があっても反省しなくていい、と思います。
失敗したり叱られたり嫌われたりしたらヘコみます。それは感情の動きだから仕方ない。他人に迷惑をかけたり傷つけてしまったという事実は受け入れるべきでしょう。
しかし、自分が卑怯でなかったならば、反省して小さくなる必要はありません。

卑怯になることだけを恐れ、他は何も恐れず、大らかに勝手気ままに生きていきたい。
by jikkenkun2006 | 2008-11-21 02:49 | 週末コラム


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