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何のために働くかではなく、誰に向けて働くか

こんばんは。大宮です。
先日、魚屋さんと肉屋さんにそれぞれ話を聞く機会がありました。どちらも繁盛店なのでお客さんに話しかけられたりするのは迷惑なのかと思っていたら、むしろ客との会話が一番の喜びだというのです。少し意外な気がしました。

彼らが客との会話を重視するのは、「おいしかったよ」「がんばってるね」と励まされたいとか美人客との雑談でリフレッシュしたい、といった理由ではありません。「こないだ買ったあの魚はまずかった」とか「ハーブ入りソーセージを復活させて」といった意見や要望を聞くと、「次はこうしよう」という参考になるというのです。

もしも客からフィードバックがないと、勘と売上データだけで仕入れや加工をすることになってしまい、客の心に強く響くような商品を打ち出せなくなるのでしょう。

この2人に限らず、やる気のある職業人は「高品質でお値打ち感のある商品やサービスを生み出してヒットさせる」という一点に集中している人が多いと思います。成功確率、人事評価、報酬などは二の次。とにかく目の前の仕事に夢中で取り組むのです。

ただし、好きな仕事であるからこそ自己満足になってしまう恐れも高まります。どんなに素晴らしい商品を開発しても、その場そのときのお客さんの生活や嗜好に合っていないと無駄になってしまうでしょう。

例えば、上記の魚屋さんは蒲郡と豊橋(ともに愛知県の都市です)で働いているのですが、ニシ(三河湾で獲れるサザエみたいな貝)は蒲郡で売れて豊橋では売れず、ナガラミ(外洋に面した砂地にいる巻貝)は豊橋で人気で蒲郡では見向きもされないとのこと。ほぼ隣の都市なのに食文化が微妙に違うのですね……。

僕もときどきお客さんの声に接することがあります。メールをもらったりWEB記事ではコメントがついたり、たまには編集部宛にお手紙をもらったり。僕の文章を読む前から誹謗中傷することを決めていたような内容はスルーさせてもらいますが、ちゃんと読んだ上での冷静なご意見は本当にありがたく感じています。

接客業や営業職とは違い、文筆業はアウトプット中に編集者や読者の反応を見ることはできません。一人でパソコンに向かってキーボードを叩くだけです。言葉を扱う仕事なので、文章の中で自慢をしたり私憤を晴らす誘惑にも駆られます。というか、僕はときどき誘惑に負けて失敗します。職権乱用は自己満足より悪いですね。

だからこそ、編集者や読者からのフィードバックが貴重なのです。褒められたら励みになり叱られたら凹みますが、本質はそこにはありません。自分の文章をちゃんと読んで感想を抱いた人(客)がいる、という確かめこそが本質です。

一つひとつの仕事に生身のお客さんがいるのだと体験的にわかっていれば、その客がどのような価値観とセンスの持ち主で、どんな文章ならば喜んでもらえそうなのかを具体的に考えることできます。まったくわからないと、努力する方向すらつかめないのです。あの魚屋さんも、客の顔を思い浮かべながら仕入れたりさばいたりしているのではないでしょうか。

何のために働くのかと問われたら、僕は「2ヶ月後の生活費を稼ぐため」と即答してしまいそうです。でも、誰に向けていま仕事をしているのかを己に問えば、自己満足より顧客満足を優先して働き続けることができると感じています。
by jikkenkun2006 | 2013-11-30 20:15 | 週末コラム | Trackback | Comments(4)

「お節介ブラザーズ」結成宣言

こんばんは。大宮です。
先日、地元のコーヒーショップで友だちのイチカワくんと会い、「結婚すると恋愛や結婚の話に現役参加できなくなるのが寂しい」という話で盛り上がりました。
『もてもてナインティナイン』みたいなお見合い番組を観ていると、「オレも参加したい!」という気持ちになるのです。いや、僕もイチカワくんも結婚生活に不満があるわけではありませんよ。いつの間にか恋愛・結婚市場から退場してしまったことが悲しいだけなのです。

そこで僕たちは思いつきました。
「お見合いおじさん」になって親しい他人の恋愛や結婚で盛り上がろう、と。
ちょっと前までは「既婚者が上から目線で未婚者にあれこれ世話を焼くのは下品だな」ぐらいに思っていたのですが、気がついたら僕もその心境に入っていたのでした。
ただし、善意や責任感はほとんどありません。僕たちが楽しむことが主目的なので、以下の3箇条を我々「お節介ブラザーズ」の暫定的なモットーとして掲げることにしました。

一、「いい男」「いい女」しか世話しない
僕たちは完全にボランティア、というか遊びです。気持ちが乗れば紹介の席での食事代をおごったりするかもしれません。だからこそ、どうでもいい人には何もしません。僕たちが女だったら抱かれてもいいと思うぐらい「いい男」か、僕たちが未婚だったらプロポーズしちゃうかもと妄想するぐらい「いい女」であることが条件です。
では、僕たちが設定する「いい男いい女」とはどんな人たちなのか。健康状態や外見の爽やかさはある程度重要ですが、それ以上に気立ての良さ(古くていい言葉ですね)を重視します。分け隔てがなくて、よく気がつく働き者で、ケチ臭くないこと。家族仲が良ければ言うことなし。なお、本人に結婚する気がないのに親だけ躍起になっている、なんていうケースは本人のために無視します。

二、責任は負わない
「引き受けてくれたのに誰も紹介してくれない」、「紹介してくれた男と付き合ってみたらとんでもない軟弱野郎だった」などのクレームは一切受け付けません。男女関係には相性があるので、どんなにいい女でも結婚相手が見つからないこともあるし(思いつきで外国人男性を勧めるかもしれません)、普通の人なのに付き合った相手によってはなぜか腑抜けになることも起こり得ます。相性を変えることは神の領域であり、僕たち「お節介ブラザーズ」の力量を超えています。
恋愛や結婚がうまくいかなかった責任を他人に押し付けようとする依存体質の人は、前述の「いい男いい女」ではありませんよね。この点は心配しなくてもいい気がします。

三、秘密は守らない
冒頭にも書きましたが、僕たちは好きな友人知人の恋愛や結婚を手伝うことで男女の出会いを疑似体験して楽しみたいのです。泣いたり笑ったりせつなくなったりしたいわけです。また、お気に入りの候補者のプロフィールを機会があるごとにしゃべりまくり、本人に代わって出会いを求めまくります。個人情報など守るわけがありません。
フリーライターである僕は恋愛・結婚関係の連載を持っています(来月からまた新連載が始まる予定です)。足と耳を使って収集したリアル情報をネタにしないわけがありません。もちろん、活字にするときは匿名性を確保しますが、本人やごく親しい人が読んだら「あのときのエピソードだな」とわかるかもしれません。

この活動には「お節介なおしゃべり野郎」と嫌われるリスクがありますが、僕たちにはそれ以上のメリットがあります。まずは何よりも恋愛結婚市場に「代理人」として再参入し、その醍醐味を改めて体験できること。ああ、嬉しいな…。
他には、親しい友人や親戚がイマイチな結婚相手を連れてきて気まずくなる事態を防げる、自分が好きな人同士をくっつけることで夫婦単位で遊びやすくなる、紹介した僕たちは親戚一同から恩人として末永く感謝されて人間関係をより広く強固にできる(そのカップルが離婚したら面倒くさいことになる危険性はありますけどね)、組み合わせが成功しても失敗しても会話(記事)のネタになる、などですね。また、僕たちとまだ親しくなくて良縁紹介をご希望の方は、毎月の「スナック大宮」および「昼のみスナック大宮」に来ていただくことになるので、スナックの宣伝活動にもなります。

うーむ、盛り上がりそうな予感がします。というか、僕はさっそく1組のお見合いを画策しつつありますよ。
イチカワくんのような同世代の既婚男友だちを「お節介ブラザーズ」にどんどん誘って、自慢の候補者を情報交換するのも面白いかもしれません。さっそく東京の友だちであるシオンくんに電話をかけて趣旨を興奮気味に話したら、「わけわからんけれど、いいよ。オレも最近、友だち同士をくっつけようとして失敗したところ。でも、いい友達になったみたいで感謝されたよ」とのこと。シオン、その2人のプロフィールをこちらにも送ってくれい!
とりあえず年間1件の成約(婚約成立)を目指して、本日から精力的に活動していく所存です。
by jikkenkun2006 | 2013-08-31 23:20 | 週末コラム | Trackback | Comments(4)

暗いけれど明るくなる件について

こんばんは。大宮です
本ブログなどで記事を読んでくれている方に何かの機会で直接顔を合わせておしゃべりすると、「大宮さんって意外と明るいですね。もっと暗い人かと思っていました」と言われることが少なくありません。
比較的よく笑うほうなので、ウジウジした話題でも和やかな印象を与えるのかもしれません。

これって恋愛テクニックでいうところの「ギャップ理論」に当てはまりますか?
すごく悪そうな風貌の人がおばあさんの手を引いて横断歩道を渡るのを目撃し、安心と同時に胸がキュンと来る、みたいな。モテの前兆? ムフッ。ムフフフ!
こんなことを書いているから「暗い」と言われるんですよね。
せめて「内省的」と言い換えてほしいけれど……。

弁解をするわけではありませんが、僕はわざと内省的になっているわけではありません。主要な関心事が自分および自分の関わる人間関係なので(自己中心的な人間なのです)、自由テーマで自然な文章を書こうとすると、どうしても自分が文中に顔を出してしまうのです。
そもそも内省の必要がないほどサッパリした人間だったら、無償の文章なんて書く必要はありませんよね。「今日も気持ちのいい一日だった。以上」で終わりですから。

三食を公開している本ブログは「大宮の食生活と内省だけがコンテンツ」です。
以前、ある女性から「そのブログ、読む価値あるんですか? 素敵なレシピが載っているわけでもないのに」と指摘され、何も言えませんでした。
でもね、納豆ご飯や目玉焼きトーストが続いていた時期にある男友達は言ってくれましたよ。「君の一貫して華のない食卓を見るとホッとする」と。
どこかで居合わせた他人と「食べ物は何が好きですか」「僕は納豆と目玉焼きが大好きなんです」みたいな無益だけど無害な会話をして、ほんの少し気持ちが和むことってありますよね。それに似た効用はあるんじゃないですかね。

このように過去の体験を掘り起こしてウジウジと考え直したり、現在進行中の課題に直面しきれなくて文章につづって公開してかすかに客観視したり、起こり得ない将来を夢想して自分で突っ込んでみたり。
そういうのって単に楽しくないですか? 
日記に書けば気が済む人もいると思いますが、僕は誰かに語りかけるつもりで書かないと自分自身にも響く文章にならないのです。独り言よりも、気の合う友人と心地の良い場所でゆっくり食事をしながら会話のほうが、納得感のある言葉が生まれるのと似ています。

本ブログや連載記事や書籍の場合は、わざわざ僕の文章を選んで読んでくれて、しかも僕と面識のない読者(あなたのことです)が多いですよね。素直に嬉しいので、顔を合わせなくても真意が伝わるように言葉や構成を吟味(というほどの大げさなものではありませんが、他に表現が見つかりません。推敲?)します。この作業は不思議と苦になりません。

むしろ次第に気分が高揚してきて、会ったことのない読者との一体感を覚えて(気持ち悪いですか?)、勝手に明るくなってくるのです。
たとえ「いじめられていた僕」みたいなみじめで暗いテーマでも、あなたにおしゃべりするつもりで少しずつ書いていくと、途中から救いのようなものを感じることがあります。解決策ではなくて救いです。なんだろう、この感覚?
 
先日のスナック大宮でこの話をしたら、ピアノの先生をしているお客さんが予想外のことを言い始めました。
「それはバッハのピカルディ終止ですね。暗い単調のメロディが続いていたのに最後の音だけ長調になって明るい雰囲気で終わる。バロック音楽は神に捧げる意図があるので、このような手法が多く使われました」
専門家というのは視点が面白いですね。バッハや神なんて普通は思いつきもしませんよ。バッハってあの白いカツラの外人さんですよね?

たまにはクラシックを聴いてみようかな。意外と文章書きの参考になるかもしれません。
あ、今回もわけわからないけれど前向きな感じで書き終えられました。
by jikkenkun2006 | 2013-05-18 00:26 | 週末コラム | Trackback | Comments(5)

新しい友だちができました

こんにちは。大宮です。
再婚を機に愛知県蒲郡市(豊橋駅から電車で10分ほどの小さな港町です。という風に紹介すると「豊橋ってどこ?」という顔をされることがあるので軽く凹みます。名古屋駅までは40分です)に引っ越してから半年が過ぎました。東京の西荻(吉祥寺と荻窪の間ですよ)に住んでいた頃は友だちや知り合いが何人も身近にいたので、安心感に包まれてぬくぬくと一人暮らしをしていました。中央線ライフ、いま振り返っても素晴らしかったです。

縁もゆかりもない蒲郡に引っ越すことが決まったときに一番不安だったのは妻やその家族との関係、ではありません(今回はうまくいく予感のようなものがありました。何事も一度大きく失敗すれば誰でも学びますからね)。僕は東京ではない場所で友だちができるのかが不安だったのです。

36年間、東京圏だけで生活をしてきたので、それ以外の地域で住む人の自意識や言葉遣い、距離感などが僕にはわかりません。地方出身の友人から「同じ日本なんだから大丈夫だよ」と励まされたとしても、「大丈夫じゃないから君は地元を出て東京で暮らしているんじゃないの?」と聞きたくなります。

社会学者の上野千鶴子さんに相談したところ、「地元の人と友だちになろうとするのが間違い。自分と同じような外人を見つけて仲良くすればいい」という趣旨のアドバイスをもらいました。そんなことを言っても、8万人の人口が減少傾向にある町で気の合う「外人」を見つけるのは難しいですよ…。

せめて行きつけにできるカフェを作ろうと思ったのが去年の秋口でした。一人で仕事をしている平日の日中に人恋しくなったら、その店で店員さんと軽く言葉を交わせるだけで気持ちが少し落ち着くはずだから。
インターネットで検索したら、駅前に「喫茶スロース」という面白そうなコーヒーショップを見つけました。個人経営の小さな店で、落語会や読書会などのイベントも手作りで開催しているあたりに中央線文化と似通ったものを感じたのです。

「スロース」に行ってみると、期待した以上の素敵な雰囲気の店で、店主のお姉さんにもすぐに顔を覚えてもらいました。最初は遠慮がちに週に一度ぐらいのペースで通っていましたよ。すると、お姉さんと一緒にお兄さんも働いていることがありました。お店の2階でギター教室を経営している清水くんです。聞けば二人は夫婦で、お店をやろうと言い出したのは清水くんなのだとか。

清水くんは蒲郡生まれの蒲郡育ちなので上野さんのいう「外人」ではありません。でも、小さい頃は楽器店が1つしかない地元の文化度に絶望を感じ、仮面就職までして資金を貯めてアメリカでのギター留学を果たし、現在は地元でギター教室を主催している34歳です。外人的な精神構造を持つ地元っ子ですね。威圧的ではなく、おしゃべりなのに聞き上手なところも僕好み。友だちになりたいな…。

この年齢になって「友だちになってください」「友だちと呼んでもいいですか?」と言うのは恥ずかしいし水臭い気がするのですが(だからフェイスブックはできません)、自力で見つけた新しい友だちが一人でいいのでほしい。そうすることで「オレもこの土地の人間になれた」と確信したいのかもしれません。

だから、清水くんに「ブログで君のことを新しい友だちだと書いてもいい?」と聞いてしまいました。我ながら婉曲的な言い方だなあ。でも、快諾してくれました。うれしかったです。今月末にご夫婦で我が家に遊びに来てくれます。張り切って料理するつもりです。
by jikkenkun2006 | 2013-02-17 23:14 | 週末コラム | Trackback | Comments(5)

自分にしかできない仕事

こんにちは。大宮です。
さきほど簡単な大掃除をしました。僕が担当したものの一つがトースターです。
象印社製のシンプルなトースターなので、扉も含めて取り外せるようになっています。拭き掃除しながら内部を観察したら、熱の当たり方などをちゃんと計算して作られていると感じました。機能的で無駄がなく掃除しやすい。象印、いいモノつくっているな…。

話は全く変わりますが、5年ほど前に先輩ライターとこんな会話をしたのを思い出しました。

「30代後半になると編集者の平均年齢を追い抜いちゃうから、ライターとしての使い勝手は悪くなる。取材や原稿書きをがんばるのは当然だけど、企画力がないとダメだよ」
「企画、正直言って苦手です。というか、いい企画って何でしょうか?」
「3つの要素が必要だとオレは考えているのよ。①時代に合っていてニーズがあること。②他人にはできないこと。③自分自身が心底やりたいこと。①は当たり前だよね、仕事なんだからさ。②は「それについて書く資格があるか」とも言い換えられる。「いい企画だけどお前に言われたくないよ」と思う記事や本は読まれにくい。③も大事だよね。自分が読みたい内容じゃないと面白くなりようがない」
「なるほど! いい企画を立てられる気がしてきました!」

人生訓やビジネスノウハウを聞くと、すぐに実行して成功できる錯覚に陥って興奮する僕。でも、実際には①②③を満たすものなんてなかなか考えつきません。ときどき「これはいい企画だ!」と思っても、掲載媒体がなかったり反響がなかったりして、そのうちに企画自体を忘れてしまったり飽きてしまったりすることが多いのです。

現在でも悪戦苦闘中なのですが、もしかすると①②③を同時に満たそうと考えるのが無理なのかもと気づき始めました。①をたくさん挙げてから、②および③のフィルターをかけていく。もしくは③のアイディアを自由に出して、②と①は仲の良い編集者に相談してみる。などが現実的ですよね。

「3要素のうちどれを最初に考えるべきか」は人によって異なる気がします。情報通の人ならば①から、マニアックな趣味がある人なら③から、などですね。
僕は情報通でもマニア体質でもないので②から考えるべきかもしれません。「他人にはできない」というのは大げさだとしても、「誰にでもできる企画ではない。でも、自分はできる」ぐらいの範囲で考えても、企画案がかなり絞られてきます。

で、去年の今ごろに考えついたのが、「10年前に閉店したユニクロ町田店の元同僚を今さら訪ね歩くセンチメンタルジャーニー」という企画
http://web-pal-pub.jp/?page_id=56
です。ここまで限定したら、書けるのはたぶん僕しかいないですよね…。
③は難なくクリアしました。僕の場合は、②であれば③は満たすのです。自意識過剰なので。
連載は大反響というわけではないので①は不透明ですが、来年3月に書籍になることが決まりました。少しでも多くの人に読んでもらえるように、加筆・修正して本にまとめるつもりです。

自分にしかできない企画を絞り出して、世の中の人に喜んでもらえるように修正していく。それでも外れることが多いだろうけど、少なくとも飽きることはなさそうです。
来年もこんな感じで働いていこうと思っています。
by jikkenkun2006 | 2012-12-31 15:24 | 週末コラム | Trackback | Comments(3)

名前を覚えるということ

こんばんは。大宮です。
選挙の季節ですね。

僕は今、愛知県蒲郡市という人口8万人ほどの小さな町に
住んでいます。人通りの少ない駅前でも誰かが選挙演説を
している声が聞こえてきます。
どこで読んだのかは忘れましたが、故・田中角栄は地元の
一人ひとりの顔と名前をたくさん憶えていたらしいですね。
街頭演説中に握手をしながら、「おう、大宮冬洋くん。お母さんは
元気か?」と呼びかけていたそうです。僕が選挙民だったら
うれしくなって一票入れてしまうだろうな…。

行きつけのアジア料理店の店長も、「常連さんの顔と名前だけは
覚えるようにしている。仕事の内容とかいろいろ聞くけど、それは
忘れてもいい。でも、名前だけは忘れちゃダメ。もし間違えたら
できるだけ早く謝る」と言っていました。
そのお店が繁盛していて、お客さんの表情も明るく穏やかなのは、
「自分の存在はちゃんと認められている」という安心感があるから
だと思います。もちろん、料理がリーズナブルでおいしいことが
前提ですけど。

ときどき「私は人の名前を覚えるのが苦手なのー」という人がいます
よね。その割に、自分の趣味に関しては専門用語を駆使して教えて
くれたりします。そういう人は記憶力が低いのではなく、他者に対する
関心が低いだけです。僕もその一人だからわかります。

でも、知り合ったばかりの人がフルネームで呼んでくれたりすると
妙にうれしい。逆に、何度も会っているはずなのにいつまで経っても
「大宮東洋さま」などと漢字を間違えてメールしてくるような人には
距離感ができてしまいます。

大切なのは記憶力ではなく危機感なのだと思います。
「名前を忘れたり間違ったりすると信頼関係を損ないかねない」と肝に
命じていれば、大切な友人や仕事仲間、お客さん(僕にとっては編集者と
読者)の名前をちゃんと覚えられるはずです。うっかり忘れそうになったら、
何度も音読して復習して覚えるべきでしょう。

理想論かもしれませんが、お客さんの名前を覚えると、彼らに提供する
サービス(僕の名前は文章)の精度や品質が向上する気もします。
お客さんの名前と表情が頭に浮かぶので、いい加減な成果物は出しにくく
なるからかもしれません。
というわけで、最近は自分にとって大事な人の名前はちゃんと覚えるように
しています。

僕は選挙に出るつもりはありませんが、来世で議員にふわさしい人物に
生まれ変わったら、何よりも優先して選挙区の有権者の氏名を覚え
まくりますよ。1万人も覚えたら無敵だと思います。
by jikkenkun2006 | 2012-12-01 21:45 | 週末コラム | Trackback | Comments(4)

仕事で大人になるということ

こんばんは。大宮です。
久しぶりにこの週末コラム(というか年末コラムですね)を書く気がします。
秋はかなり暇をしていたのですが、11月から急に忙しくなり、昨日の夕方にようやく仕事納めができました。

今年、ようやく骨身にしみてわかった真実のようなものがあります。
「仕事でお金がもらえることはありがたい。そのお金で生活をしているのだ」
という当たり前すぎることですけど。

10年前に会社員をやめてフリーランスになってからは、「仕事があればお金が入る。なければ入らない」という事実がわかったつもりでいたのです。
でも、なんとなく甘えがあったというか、仕事やお金がなくなることはないだろうと思っていて、仕事を選り好みしたこともありました。

その結果として昨年末に貯金を使い果たし、昔の仕事仲間(主に編集者)に頭を下げて回ることになったのです。で、そのうち何人かは「じゃあ、久しぶりに一緒にやろうか」と仕事をくれたのでした。涙が出るほど嬉しかった。そのおかげで春先には生活を立て直すことができたのです。
あのときのいくつかの仕事がなかったら、今ごろどうなっていたのかわかりません。
社会人になって初めて、仕事とお金の大切さを体感した気がします。

この経験で、我ながら「(仕事に関しては)やっと大人になった」と感じました。もう35歳なんですけどね…。
仕事でお金がもらえるのはありがたい。だから、よほど信念に反する仕事以外は二つ返事で引き受けて、プロの原稿を書く。
仕事でお金がもらえるのはありがたい。だから、少しぐらい嫌なことがあってもへそを曲げたりせず、常に朗らかに働く。
仕事でお金がもらえるのはありがたい。だから、病気や事故で納期が遅れたりすることのないように、生活習慣を改善する。
こうして書いてみると、仕事はお金をくれるだけでなく、能力を高め、性格を明朗にし、健康を維持してくれているんですね。ありがたや、ありがたや…。

来年はこの姿勢を維持しながらも、もう少し余裕を作り、「すぐにはお金にならない仕事」も手がけていこうと思っています。
いま興味があるのは、僕と同じように自営で小さなビジネスをやっている若手社会人です。今年は彼ら12人を取材して『あした会社がなくなっても生きていく12の知恵』という本を出しました。次はもう少し切り口を絞って(食品関連とか)取材してみたいと思っています。

来年もいい仕事ができますように…。
by jikkenkun2006 | 2011-12-31 19:05 | 週末コラム | Trackback | Comments(2)

家事がもたらす三つの効用

こんばんは。大宮です。
台風の影響でにわか雨が降ったりしていますが、今日は夕方まで家事をして過ごしました。
朝食をとった後にベッドシーツを洗い、部屋の掃除をして、さらにアパート前の草取り(根絶を図るので「草むしり」ではなく「草取り」なのです)をしました。風呂を洗いがてらに汗も流して、いい気分!
完全にマイホームパパですね。妻子なしの一人パパですけど…。

最近、家事をするのが嫌でなくなり、むしろ「いいことだなあ」と実感するようになりました。
なぜなのか。
三つの効用にまとめてみたいと思います。

(1)収支のバランスが取りやすくなる
都市生活をしていると外をフラフラしているだけでお金が出て行きますよね。
働いている日はいいのです。稼いでいるのだから、その分だけ他人のサービスにお金を使うことでバランスが取れている。仕事の合間に映画を観たり買い物をしたり外食をしたりすると、なんだかテンション上がりますよね。
好きな人や好きな店やモノにお金を使うのもいい。僕たちはそのために働いているようなものだから。
でも、休日などに暇つぶしで無駄なお金を使うと収支のバランスが崩れてしまいますよね。
家事をほとんどやらなかった頃は、一人で家にいるのがつまらなくて寂しくて、無理に出かけて無駄金を使うことが多かった。好きでもない知り合いと飲みに行ったりして、帰り道に後悔したり…。
家の中を楽しみながら整えることにも時間と労力を使うようになった今は、収支のバランスが取りやすくなったような気がします。
細かい例えですが、お茶をペットボトルで買うと、安くても2リットル173円ぐらいしますよね。水出しパックで買えば、20袋入りで300円弱とかですよ。しかも風味が断然いい。手間ともいえない手間で、安くておいしいものが手に入るんですね。
家事をがんばると豊かに倹約ができる! 当たり前の話ですね…。

(2)心身が健康になる
思い返せば11年前、就職して初めての一人暮らしをスタートした頃は、さおだけ屋に物干し竿を7000円で買わされてしまったりジャガイモを生のまま食べてしまったり、失敗続きの生活をしてきました。
でも、何年も暮らし続けていると、少しずつ上達したり面白くなってくるものですよね。
洗濯を干すとき、物干し竿に手を伸ばして衣類を一枚ずつかけるのではなく、ハンガーや小物干しにかけた上で、まとめて干すと効率的。掃除をするときは物を動かして掃除機をかけやすい状態にするという下準備が大事。パスタを作るときは先にお湯を沸かしてたっぷりの塩を入れて麺を入れてキッチンタイマーをセットする。お湯を沸かしている間にニンニクやトマトなどの野菜を切り、麺を茹でている間にソースを作ることができると、キレのある味に手早く仕上げられる。
いずれも常識的な内容ですが、僕は知りませんでしたし、知っていても実践できませんでした。
少しでも家事能力が身についた今は、掃除機の袋を交換するだけで「吸引力アップ!掃除楽しい!オレはできる!」という自己満足に浸ることができます。精神衛生上とてもいいですよね。
あと、ハウスダストにアレルギー気味なので、部屋をキレイにすると体が喜んでいるのがわかるようになりました。野菜を使った料理もするようになったので、胃腸の具合もいい気がします。晩酌の習慣までついて、たまに飲みすぎたりしますけどね…。

(3)ご近所づきあいが生まれる
家の前で変な格好をして草取りをしていると、近所のおばあちゃんに話しかけられたりします。
この土地で何十年と住んでいる先輩なので、やたらにいろんなことを知っています。僕はアパートの一階に住んでいるので、防犯ウォッチャー的な暇人(失礼!)と知り合っておくことで、空き巣などに狙われにくくなるかもしれません。
もちろん、「雨が降るのかな?」「降りそうで降らないね」みたいな内容ゼロのご近所トークも楽しめます。
最近はスーパーやコンビニをあまり使わなくなりました。僕が住んでいる西荻という街は、豆腐屋・肉屋・八百屋・魚屋・クリーニング屋などがけっこう残っているので、相性のよい店を見つけて通っています。
専門店なので鮮度もいいし技術も高い。調理法などを気軽に聞けるのもいいですね。
馴染みになると直接関係のないことまで相談してしまいます。お気に入りの傘が壊れたときは、クリーニング屋のおばさんが廃業した傘屋の知り合いに頼んで安く直してくれました。助かる!

僕はいろんな人に会ったり外食したりするのが趣味かつ仕事なので、お金のかかる都市生活を捨てようとは思いません。情報とモノと人が集積している場所はやはり魅力的だと思います。
でも、それだけだと疲れ果ててしまう。すべてをお金に支配されているような圧迫感を覚えるからでしょう。
他人の家に行ったときも、高級家具に囲まれているけれどあまり手入れしてない部屋よりも、中古家具などを丁寧に使っているこざっぱりとした部屋のほうが、居心地がいいし「本物だな」と感じます。

ときどき「忙しいから家事を外注している」ことを自慢げに話す高給取りがいますけど、なぜかうらやましい気持ちになりません。それは、お金を使っているようでお金に使われてしまっていることが伝わってくるからでしょう。
家事を放棄することで、家事がもたらす密やかな効用(お金では買えない生活感覚や人間関係)を得られない。得られないことすら気づかないままに。それは虚しいと思います。
家事は、人生をお金に支配されすぎないための防波堤なのかもしれません。
by jikkenkun2006 | 2011-09-04 23:45 | 週末コラム | Trackback | Comments(7)

知り合い、友達、親友

こんばんは。大宮です。
フェイスブックを始めて1週間ほどが経ち、自分の人間関係を振り返る機会に
なっていると感じています。
同SNSは実名が基本なので、登録した途端に次々と知り合いを発見し発見される
ような仕組みになっています。出身校やメールのドメインで自動検索しているので
しょうか。すごい技術だな…。で、相互承認によって「友達」の輪が広がっていきます。

ただし、語弊を恐れずに書けば、「友達リクエスト」を送ってくれる人の半分ぐらいは
友達ではありません。だから「承認」せず消しています。ごめんなさい。

ええっと、もし僕に友達リクエストをくれた人がこのブログも読んでいたら、かなり気分を
害しますよね。悪意はなくて、「友達」という言葉の定義の問題だということを以下で
述べたいと思います。

僕にとっての友達とは、「二人きりで食事したい人」です。
朝食を目標に起床し、昼食を目標に仕事場に向かい、夕食を目標に働いている僕は、
食事が本当に楽しみなのですよ。
できれば気の合う人と一緒に食べたい。そのほうがおいしく楽しく感じるから。
年齢や職業、性別を問わず、一緒に食べながらおしゃべりすると楽しい人と
そうでもない人がいますよね。
おそらくお互い様なのだろうと思います。こちらが「楽しい」と感じていたら相手も楽しい
はずだし(違ったら悲しいですね…)、こちらが「つまらん。一人で食べるほうがマシ」と
感じたら相手も同じ気分だと思います。
だったら、無理に一緒にいるべきではない。

僕に「友達リクエスト」をくれた方、あなたは僕とサシ飲みしたいですか?
マンツーマンですよ。逃げ場はありませんよ。
僕の生理的行為(飲んだり食べたり)を間近で見なければなりませんよ。
きっと「そこまでしたくない。単なる知り合いだから軽くリクエストしてみただけだよ。
この自意識過剰男め!」というお返事だと思います。

フェイスブックの使い方として、あなたと僕のどちらが正しいのかを議論するつもりは
ありません。おそらく僕のほうが間違っているのだと思います。
でも、僕は「友達」という言葉を使う限りは厳密にやりたいのです。神経質ですみません。

考えてみれば、「知り合い」は選べませんよね。
僕は毎日のように新しい人に会いまくるのが仕事のライターなので、知り合いはどんどん
増えていきます。
プライベートでも同窓会などの幹事をすると出席者すべてが知り合いになったりします。
しかし、そのほとんどが駅前ですれ違うレベルの他人でしかありません。何の感慨も抱かない。
長い間知り合いだったとしても(例えば学生時代からの知人)、決して友人ではありません。
もしも彼が困っているという噂を聞いても、新聞記事の他人事でしょう。ま、お互い様ですよね。

でも、中には「この人とはサシ飲みしても楽しそうだな」と感じることがあります。
友達を選び取るというか嗅ぎ取るタイミングですね。
もし彼が困っていたらできる範囲で手助けをしますよ。3千円ぐらいなら寄付もします。
僕の場合、「責任感があって」「気遣いができて」「一人きりでも行動できる」という
三拍子揃った大人を選ぶことが多い。自分が子どもだからなのかもしれませんが…。
つまり、「友達」は選べる。
編集者などの仕事仲間も含めて、僕は友達を選びます。そのためにフリーランサーになった
ようなものなので、この自由は絶対に手放しません。

ただし、「知り合い」と「友達」の境界はかなりあいまいです。
目をこらすと、毎月のように両グループ間で行き来があるような気がしています。
ちょっとした一言で「知り合い」が「友達」になったり、逆に「友達」と疎遠な関係になってしまったり。
だから、フェイスブックで「友達リクエスト」をしてくれた「知り合い」とも、いずれ「友達」になる
可能性も大いにありますよね。その際はよろしく!

では、もっと厳密な意味での「友人」、すなわち親友はどうでしょうか。
親友は選べないと感じています。
なぜなら、どちらかが「かなり困っている」ような状況に直面しないと、彼が友達なのか親友
なのかはわからないからです。

僕にはDくんという高校時代からの親友がいます。最初は単なる知り合いで、ある同窓会の
運営を一緒にやるようになってからは友達になりました。
で、一歳年上である彼が会社員になり、いきなり僻地の事務所に配属され、とても落ち込んで
いた時期がありました。
からかい半分で電話をしたら、普段は飄々としている彼が「トウヨウ。オレ、ダメかもしれない」と
蚊の泣くような声で言うのです。
その瞬間、首の辺りから目までが熱くなるのを感じました。何も考えずに、なけなしの貯金を
はたいて飛行機に飛び乗り、彼の住む街へ直行して生活改善を手伝いました。
僕にしては驚くべき行動力です。
「できる範囲で手助け」なんかじゃない。「なりふり構わず徹底救援」ですよね。
彼が単なる友達だったら、「大変そうだね~。グッドラック!」と電話を切って済ませたことでしょう。

「知り合い」と「友達」の振り分けは頭で判断できます。
そして、両者を分けておくことは重要だと僕は思います。それができないと、孤独を恐れて単なる
「知り合い」たちと飲み食いに出かけるようになり、貴重な食事時間が台無しになりかねません。
でも、「親友」が誰かは事前にわからない。困難な状況下で自分と相手がどんな行動をしたのかを
事後的に振り返ることでしか「親友」は現出しない、とも言えますね。
おそらく親友はDくんも含めて3人ぐらいしかいない気がします。
あと2人が誰なのか。知る必要がないし、知りたくもありません。
by jikkenkun2006 | 2011-08-07 23:58 | 週末コラム | Trackback | Comments(6)

粋な映画、粋な人

こんばんは。大宮です。
ほとんど唯一の趣味が映画鑑賞な僕。
毎週映画館に行くほどではありませんが、DVDは週に2、3本は観ています。
制作国や年代やジャンルは問わずに「面白そうだな」と感じたら借りてきます。
当然ながら、借りてよかったと思う作品と損したと思う作品があります。
その違いをすべて言語化できているわけではありませんが、最近自己発見したのは
「粋な映画が好きなんだ」という点です。

粋といっても、衣装がオシャレなフランス映画という意味ではありません。
映像がやたらにスタイリッシュなアメリカ映画でもありません。
なんというのか、「自分のことがよくわかっているけれど傲慢にも卑屈にもならずに
全力を出し切った」感のある作品を粋だなあと感じるのです。

最近観た映画では、ダニエル・クレイグ制作・主演の『フラッシュバック』ですね。
007のジェームズ・ボンド役で知られる金髪肉体美の俳優ですが、「俺はそんなんじゃ
ないんだよ」と技巧派ぶるわけでもなく、むしろ自分の軽薄イメージを生かした主人公を
設定し、なおかつ感傷的で美しい作品に仕上げていました。大作感はゼロだし、
無駄なアクションはないし、必要なエロはちゃんとあるのも素晴らしい。
この人は映画(と音楽)が本当に好きなんだな、と素直に感じられる佳作でした。
ちなみに、この人が出ている『ディファイアンス』というホロコースト映画はアクションも
ある傑作です。

逆に、オープニング5分ぐらいで野暮だなと思う作品もありますよね。大作感を出そうと
無理をしていたり、不自然なギャグを入れていたり、明らかにミスキャスティングな
俳優が出ていたり…。
興行収入を確保するためにいろんな大人の事情が絡むのだとは思いますが、
一言でいうと「嘘」が目立つのです。
一生懸命にステキな嘘をつくべき映画の中に無駄な嘘を入れてどうするんだよ、と
小さく抗議したくなります。誰よりも純粋な姿勢で真っ直ぐに嘘の世界を描かなければ、
現実の世界に生きる僕たち観客の心を捉えることはできないと思うのです。
ファンの方がいたら申し訳ないけれど、三谷幸喜の『THE有頂天ホテル』には
嘘ばかりを感じました。『ラヂオの時間』は良かった記憶があるのですが…。
売れっ子の三谷氏が傲慢になっているとは言いませんが、自分を見失っているような
気がしてなりません。

友人との会話も、映画鑑賞に通じるものがあると思います。
いろんな経験をして自分の強みも弱みもわきまえた上で、なおかつ前向きに機嫌よく
率直に生きている人には「粋」を勝手に感じて、感激して興奮して長話になります。

一方で、同じぐらいの経験をしているはずなのに全く内省が進まない人もいますよね。
謙虚なポーズで実は自慢話ばかりをしたり、似合いもしないブランド品を身につけたがったり、
好きでもない人と一緒にいて好きでもない仕事を続けていることを認めなかったり。
「嘘つき」とまでは言いませんが、少なくとも素直な印象は受けません。
見栄っ張りというか虚飾が身についてしまっている人を前にすると、「野暮だな」と気持ちが
冷めて早々に帰りたくなります。

ただし、粋な人も環境次第では野暮になってしまうと思うし、その逆もあると信じています。
例えば、腹の内は明かさないくせに卑小な自信を隠し持ち続けているような利口者が多い環境に
長くいると自分を見失って野暮に堕ちてしまうし、自分の欠点は十分にわかっていて認めている
けれど懲りずに新たな挑戦をし続けるような馬鹿者たちがいる環境にあえて身を置くと、自分も
少しずつ爽やかな人間になっていくと思うのです。

粋な作品を観賞して、粋な人と一緒にいる時間を増やすことで、自分も変わっていけると信じたい。
というわけで、今からキャベツで晩酌しながら『うぬぼれ刑事』(TBSドラマ)のDVDを観ようと思います。
by jikkenkun2006 | 2011-07-03 20:36 | 週末コラム | Trackback | Comments(2)