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食事会に誘いたい人

こんばんは。大宮です。
外食というか会食が趣味のようになっています。
その多くが仕事がらみですが、完全にプライベートなランチや飲みも週一ぐらいの
ペースであります。
好きな人たちと会っておしゃべりしながらおいしいものを飲み食いする、
これ以上の喜びが他にあるでしょうか?

お誘いを待っていてもたまにしか来ないので、僕のほうからちょっとした同窓会を
企画したりサシ飲みを提案したりすることが多いのです。お店を探したり予約したり
するのは嫌いじゃないし、たまには自分で料理を作ってしまいますよ。

では、食事に誘いたい人と誘いたくない人はどこが違うのでしょうか。
知人・友人ならば誰でも誘いたいわけじゃありませんよ。
誘いたくない人に関しては5年前にこんな文章を書いたので、今回は食事会に
誘いたい人の3か条を書きたいと思います。

(1)返事が早くて約束を守る人
いつも一緒に行動するような「親友」はいない僕ですが、3ヶ月に一度ぐらいの
ペースで映画を一緒に観たりパスタを食べに行ったりする友だちがいます。
彼は海外営業の仕事をしているので、ときどき日本から離れているのですが、
お誘いメールをすると滞在先ホテルからでもすぐに返信をくれます。
で、一度約束したら「急な仕事が入った」程度の理由で約束を破ることは
ありません。待ち合わせに5分遅れるだけでもわざわざメールをくれます。
ちなみに、それは一族の家風らしく、親戚の集まりでは指定時間の1時間ぐらい前に
約束の場所に着いていないとおじいさんなどに叱責されるらしいです。
ちょっとやりすぎな気もしますが、素晴らしい家庭教育だと思います。

(2)喜びや感謝をきちんと言葉に出す人
お店を選んだり家飲みを主催したりすると、「みんな楽しんでくれたかな?」と
気になるものですよね。
「すごくおいしくていい店だね」「今日は本当に楽しい。私、帰りたくない」なんて
笑いかけてくれたり、「忙しいところ企画してくれてありがとう。久しぶりにみんなに
会えてうれしかった」と労ってくれると、気疲れが吹き飛んでしまいます。
たまにはご馳走することもあるのですが、そのときはちゃんと「ご馳走様でした」
という一言がほしいですよね。わざわざ丁寧なお礼メールなんて送ってくる人は
またすぐに良き店に連れて行きたくなります。
逆に、ボランティアで食事会を主催しているこちらの苦労も知らず、会の仕切り方や
料理などに文句をつけてくる人は最悪です。いつだったか、主催者である僕が酔い
潰れて寝ていると思ったのか、「酒が足りないんだよな~」などと陰口を叩いた男が
いました。以来、彼は二度と遊びに誘いません。

(3)会計や片付けなどの「後始末」を気持ちよくできる人
早退や遅刻を理由に会費の値引きを主張する人がたまにいますが、あさましいと
いうか野暮ですよね。「雰囲気を壊してごめん」と余分に出すぐらいがちょうどいいのに。
酔ったふりをして会費を払わずに帰ろうとする人もごくたまにいます。ごまかせると
思ったら大間違いです。そういう人の卑しさはたぶん一生忘れません。
先日、学生時代の友人などと飲み会をして、二次会は僕が払って帰りました。一次会は
「社長」がおごってくれたので、二次会は僕が出してもいいかな、と思ったのです。
すると、後日に一人からメールがあったのです。「こないだの会計をちゃんとしてないので
自分の分を払いたい」と。で、本当に払ってくれました。彼の清潔さと律儀さに少し感動
したのでした。
キャンプやホームパーティなどの場合は、片づけを率先してやる人がありがたいし
素敵だな感じます。見た目が美しくても気が利かずに腰も重い人は魅力が激減しますよね。

以上3点をまとめると、「思いやり」というありきたりな言葉に行き着きます。
自分が主催する側だったらどんな客であってほしいか、を自然と想像できるということですね。
一生懸命に会を主催した人への思いやりや気遣いがある人は、きっとまた新たな食事会に
招かれることでしょう。

ここから話は飛躍しますが、人口減少などによって経済が縮小しつつある今後の日本社会では、
「会社の正社員でありさえすれば給料は伸び続けるので、友だち付き合いや近所付き合いを
しなくても一人もしくは家族だけで生きていける」という従来モデルは通用しなくなると思います。
むしろ、金を使わなくても一緒に楽しく過ごせて有用なモノや情報を交換できる、温かい
人間関係を広くゆるく築くことがますます重要になるでしょう。

仕事がらみでない食事会は、この新しい局面で楽しく生き延びていけるか否かの試金石
なのです。
食事会に誘われ続ける人は仕事能力はイマイチでも生活が豊かになり、少しぐらい金持ちで
仕事ができても食事会に誘われないような人は経済的にも精神的にもだんだん貧しくなる。
そんな時代がすぐそこに来ているような気がします。
by jikkenkun2006 | 2011-05-22 23:58 | 週末コラム | Trackback | Comments(3)

ライター10年目を迎えて

こんばんは。大宮です。
東京はようやく平静を取り戻しつつありますね。スーパーの棚にトイレットペーパーを
見かけて、なんだかホッとしました。買い溜めはもう止めにしましょうね。
「非常」の時期は終わり、「労働」の季節が再びやってきたと個人的には感じています。
楽しく激しく働いて、たまに思い切り休み遊ぶ日々が帰ってきた!はず。

なにせこの3月で、僕はフリーライター10年目を迎えたのです。
24歳で会社員を辞めてから、公私ともにいろんなことがあったな…。20年ぐらいの歳月が
経ったような気分です。
昔、ある先輩から、「どんなヘボ職人でも10年も続けていれば一人前になれるものだよ」
という話を聞かされ、その言葉を信じてここまでやってきた気がします。
一人前になれたかどうかはわかりませんが、なんというか「俺はこれからだ」という自信の
ようなものが漲ってくる感じはあります。自信の根拠はありませんけどね…。

で、「来た球はすべて打ち返す」をモットーにするほど労働意欲が満々なこの頃ですが、
ライターになりたての頃とは違って、少しは方向性のようなものが見えてきました。
僕は、「今後の日本人の生き方」をたくさん取材しながら提示していきたいのです。

もっと青臭く表現するなら、「よく生きる」とはどういうことなのか?を問い続けて考え続けて
いきたい。振り返ってみれば、まったくモテなかった中学生ぐらいから、僕は「うまく生きる」
ことを目指していました。最近の言葉でいうならば「勝ち組」になりたかったわけです。
でも、失恋や失業や離婚などを繰り返した末、「うまく生きる」のは無理そうだから
せめて「よく生きる」道を探っていこうと決心しました。我ながら消極的な決め方だな…。

といっても、宗教専門のライターになるわけではありませんよ。
(五木寛之に憧れてとりあえず髪型を真似た時期もありましたが、発心しないまま現在に
至ります)
個人の具体的な生活に密着した取材をして、自分なりに抽象度を上げて書いていきます。
「生きる」を、「働く」「暮らす」「遊ぶ」の3つに分解するとしたら、今までも追いかけてきたテーマ
なのかもしれません。

(1)働く
・ビジネス誌などの記事。例えばこれ
・荻野進介氏との共著、『ダブルキャリア』

(2)暮らす
・恋愛と結婚に関する当事者たちとの対話連載
・リクルートワークス研究所との共著、『30代未婚男』

(3)遊ぶ
・料理雑誌やグルメ雑誌での文章。例えばこの連載
・バブル世代のおバカな武勇伝を集めた初めての単著、『バブルの遺言』

なお、上述の「自分なりに抽象度を上げる」というのは、哲学的な思索を深めるという
意味ではありません(僕にはたぶん無理)。
出会った現代人たちから感じ取れる哀愁(ペーソス)を勝手に拾い上げたいのです。
特に、「コンプレックス」や「努力の空回り」が生み出す滑稽さに異常に関心が
あります。愛情すら感じます。その哀しい魂を僕が描き出して成仏させなくちゃ、
という使命感があるのです。で、こんな連載も始めました。

もちろん、「来る球(仕事)」のすべてが直接的に「今後の日本人の生き方」という僕の
テーマに触れるわけではありませんよ。「個人経営の飲食店が大手チェーンに勝つ方法」
みたいなビジネス誌の特集記事に職人(記者)の一人として参加することもあります。
そのときは、少しでも役に立つ職人になるよう務めながら、頭のどこかでは常に「面白い人」を
探すことを自らに課しています(まだ数ヶ月ですけどね)。取材の過程で、やたらに魅力的な
料理人に出会ったら、特集の仕事が終わってからも連絡を取り合って、今度は自分のテーマで
取材させてもらえばいいんですね。

同時に、日々の仕事とは別に、さまざまな組織や分野で「宝」とされるような人物に出会って
いく努力をしたいと思っています。具体的には、ライター仲間の荻野進介さんと二人で、
お互いの人脈から手繰り寄せていくつもりです。自己アピール上手の派手な人だけではなくて、
地味だけど能力・実績・人柄の3点で同僚から密かに尊敬を集めているような人に会いたい。
東京電力や消防庁の「宝」、絶対にいるんだろうな…。
この文章を読んでいる方で、「ぜひ同僚(老若男女を問いません)を紹介したい」と思ってくれたら、
ぜひメールを下さいね(プロフィール欄に僕のメアドがあります)。謝礼は払えませんが、荻野さんと
一緒に、お二人(あなたと同僚の方)に良き飲食店で美味しいものをご馳走します。
換わりに、お仕事の話を聞かせてください。

実はいま、5月発売の書籍執筆の佳境です(現実逃避でブログを書いているわけじゃありませんよ!)。
内容は「会社を辞めても楽しく生きていく」道を実践している12人の若者を紹介するというもの。
「今後の日本人の生き方」の一つとして、世の中に提示するに足る内容だと自負しています。
今月末には原稿書きの山場を越すので、来月からは遊びながら次の企画を見つけて育てていく
予定です。放射能とか心配している場合じゃありません。楽しくがんばります。
by jikkenkun2006 | 2011-03-21 22:42 | 週末コラム | Trackback | Comments(4)

「ヤマアラシのような言葉」から距離をおく

こんばんは。大宮です。
今日はなんだか反省モードです。

先日、WEB連載の『往復書簡』を読んだという学生時代の友人から、久しぶりに
メールが届きました。「大丈夫か?」というタイトルで。

<冬洋の文章、言葉の受け止め方や選び方が酷く刺々しくて、読んでドキッとしたよ。
ヤマアラシのような印象を受けた。
自分の感性に正直で直截的な表現も、君の文章の魅力だと思う。でもそれ以上に、
飄々とした軽やかな語り口が、僕は好きです。>

前半は批評、後半は激励ですね。
僕はなんだか恥ずかしい気持ちになりました。

上記の往復書簡で、僕は相手の言葉に対して感情的になり、やや差別的な表現を
含む言葉を発してしまったのです。
読み返してみて、友人が「ヤマアラシのような印象を受けた」というのも無理はないな、
と感じました。

何がいけなかったのかを少し冷静に振り返ると、怒ったこと自体には問題はない気が
します。どんなに子どもっぽい怒りでも、自然な感情なのだから仕方ありません。

問題は、その怒りを何の目的のために言語化したのか、ですよね。
今回、わざと感情的になって往復書簡に刺激を与えるというサービス精神もなかった
わけではありません。でも、それ以上に「自分の立場を擁護しつつ、自分がスッキリする
ため」という自己満足的な文章でありました。
だからこそ、友人は違和感を覚えたのだと思います。

さらに振り返ってみると(反省モードなのですよ今夜は)、このブログでも最近は
「忙しさ自慢」や「人脈自慢」をしてしまっていますね。その自慢が読者に益する内容ならば
いいのですが、読み返すと自分が気持ち良くなっているだけな気がしてきます。
うーん、心のゆとりがないんだな、俺…。

こういう言葉は、不特定多数の読者に向けて発するべきではありませんね。
「嫌なら読むな」というのは書き手の傲慢であり、「嫌な言葉は公開するな」のほうが
正しいと思います。

なぜなら、公開した言葉は公共のものだから。
路上にゴミを捨てない、裸で外を歩かない、道を譲ってもらったら「すみません」と
お礼する、などと同じレベルで、「自己満足を目的とする言葉を路上に捨てない」ことは
マナーなのですね。

偶然にもヤマアラシのような言葉に触れてしまって無用にざわついた人の心を
誰が救うというのでしょうか。そんな残留地雷みたいな言葉は、ごく親しい人に付き合って
もらい、非公開でひっそりと処理すべきです。
「こんなムカつくオヤジがいてさ。あーでね、こーでね」(大宮)
「うんうん。それは嫌だね。あなたは全然、悪くないのよ」(優しいお姉さん)

特に僕の場合は、商業ベースの媒体(雑誌やWEBサイト)に言葉を書かせてもらうことを
仕事にしているので、個人で書いているより広く遠い他人に届く可能性が高まります。
残留地雷というより風船爆弾ですね…。大迷惑!
僕の書く言葉が、社会や人間への愛情に支えられているのではなく、私利私欲を潜ませて
いるのだとしたら、いますぐ別の仕事を探したほうが世のため人のためでしょう。

<私は書きながら、毎日、自問自答している。
 今日、私は本当に自分が伝えたいことを書いたか。恨みや嫉みの気持ちを言葉に
乗せなかったか。純粋に自分のためだけに書いたか。誰かをおとしめるような文章を
書かなかったか。言葉を武器にしようとしなかったか。自分の自意識のために言葉を
利用しなかったか。
 そう思って、書いた文章を読み返し「よし、大丈夫だ」と思ったら送る。>
(田口ランディ『広告批評』2001年4月号より抜粋)

僕もこれからはもっと客観的に自分の文章を読み返し、「公共のためになる」と思えた
ものだけを送信しようと思います。

ヤマアラシのような言葉ではなく、見知らぬ読者にも寄り添えるような純粋で温かい言葉を
発していきたい。
by jikkenkun2006 | 2011-01-23 22:58 | 週末コラム | Trackback | Comments(3)

書きまくりの1年に向けて

こんばんは。大宮です。
週末コラムならぬ年末コラムですね。
一般企業ならば四半期ごとぐらいに上司との人事面接があって、「今期の自己評価」
「来期の個人目標」などを言語化するのでしょうね。
これは組織人というよりも職業人として成長するために不可欠な作業だと思います。
僕はフリーランスなので自分でやるしかありませんね。
というわけで、この場で書かせてください。

4年ほど前だったか、「大宮くんは教養が足りないねえ。圧倒的に。本を読んでないでしょ」と
厳しい指摘をされたことがあります。
確かに、通読するのは月に2、3冊あれば多いほうだったと思います。
反省して、月に10~15冊程度は読む習慣がつきました。文庫や新書も含めてですけどね。
教養がついたとは思いませんが、情報の全体像を把握して自分の視点を入れながらまとめる
思考力は以前よりは少し高まった気がします。

読書の効用は、情報のインプットよりも、著者の論理展開の仕方や言葉遣いのようなものを
自然とインプットできるところにあるのではないでしょうか。単なる「まねっこ」ともいいますが。
僕も自分の文章を読み返して、「こいつ、岡本太郎と内田樹と高野秀行と中村うさぎと
北尾トロの影響を受けているな~」などと客観的に感じることがあります。

情報のインプットはどちらかというと会話を通して行っています。
インターネットを通じた情報も多い世の中ですが、直接に人と会うと自分の興味や
要望に沿った情報を引き出せたり、生身の人間同士が触れ合うことによってアイディアや
言葉を化学反応のように生み出せることがありますよね。
有意義な会話のためには相性が一番大事なのは当然ですが、よき「場」も必要です。
寒かったり腹が減っていたら話す気力もわかないし、飲食店に入っても料理がまずくて
接客も悪かったりしたら、まったく盛り上がりません。
高級ではないけれど感じの良い店でおいしい酒を飲んだりすれば、リラックスした気分で
意見交換を楽しめますよね。

この「会話」に関しては、フリーライターになった9年前から時間も金もかけてきました。
平均すると月に10万円ぐらい会食費に使っています。
たまに出版社の名前で領収書を切れることもありますが、ほとんどが自腹です。
「たいした金額じゃないじゃん。俺はもっと飲んでるよ」なんて言ってはいけません。
僕は年収1000万円の商社マンではないんですよ。
収入が20万円の月でも貯金を崩して10万円使ってきたのです。
おかげで、今ではキャリア官僚とも銀座のホステスとも飲み交わしながら、
業界の一次情報を仕入れることができますし、わからないことがあれば電話で
教えてもらうこともできます。

で、来年の目標です。
インプット習慣は現状維持でよいと思っています。
むしろもっとアウトプットをしなければなりません。
つまり、もっと仕事をする(原稿を書く)ということですね。
貯金が尽きたというリアルな理由もありますが(笑)、インプットばかりしていても
成長に限界があると気づいたからです。これ、常識ですか?

インプットには終わりがありません。
例えば、コーヒー業界についてどこまでも詳しくなりたいと思ったら、南米に渡って
コーヒー豆の生産に携わるぐらいの探究心が必要でしょう。
完璧がない世界です。

一方で、アウトプットには終わりがあります。具体的には2週間後の原稿締め切りという
終わりがあるのです(うわー、怖いよ。期日までに書ける気がしないよ~!)。
取材が不十分だろうが何だろうが、とにかくアウトプットを提出するしかありません。
「これが僕の完璧です」という無言の言葉を添えて。本当に恐ろしいです。

でも、制限時間までに必死で足と頭を使って情報を集めて整理してストーリーをつくる
作業の過程で、無制限のインプットでは得られない本質のようなものをつかめる場合が
あります。

ライターという仕事を、「取材対象やテーマに関する自分なりの本質を掘り出して、
わかりやすく面白く紹介する職業」と定義するならば、僕たちはやはり本気で書くこと
でしか訓練されないのです。締め切りを守れなかったりクソ原稿を提出してしまったら、
再来月あたりから食えなくなるかもしれない、というプレッシャーに背中を押されながら。

来年は3年ぶりに「書きまくる1年」にしようと思っています。
というか実は今月から書きまくっています。
来た球は全部打ってやる、ぐらいの気持ちですよ。
打ちまくる日々の先に何か光るものが見えてくることを信じて。
by jikkenkun2006 | 2010-12-30 23:29 | 週末コラム | Trackback | Comments(6)

明るく安価な「暇つぶし」を求めて

こんにちは。大宮です。
8年ほど前に会社員を辞めてフリーランスになってから、ずっと模索しているテーマがあります。「暇つぶし」です。

仕事が詰まっていないときは、毎日が日曜日状態になるんですよ。1日2時間とかちょこちょこと仕事をして、料理などの家事をしたら、膨大な暇時間に直面することになります。最近は、一日平均6時間ぐらいは暇です。

「早め早めに先の原稿を終わらせて、まとめて空けた日程で気兼ねなく遊ぶ」みたいな活動的な人間なら苦労しません。僕は「明日できることは今日するな」系の先送り低体温タイプです。一方で、心配性でもあるので、先のことが気になって豪快に遊ぶこともできません。毎日、自宅や事務所近辺でウロウロモジモジしているのです。今日もそうですけどね。

お金に余裕があれば、旅行しまくるとか外食しまくるなど、いくらでも楽しみ方はあるでしょう。僕の場合はそうはいきませんよ。いま仕事が少ない=数ヵ月後の収入減、なので慎ましい生活を心がけなければなりません。まあ、仕事が忙しくなってくると、自然と遊び金も増えるので一向に貯金できないんですけどね…。

では、今日は何をするか。睡眠は十分足りているのでベッドでゴロゴロするのも飽きました。映画でも観に行こう。あー、面白かった。でも、まだ4時間も余っている。何をしよう? 唯一の趣味は映画だけど一日2本以上は観たくないし…。

古代中国の大人物ならばこう過ごすでしょう。
近所の湖畔をゆっくり歩く、疲れたら椅子に腰かけて風景を愛でる、気がついたら日が暮れている。ある日、王の使者がやってくる。敵対的な隣国との和平案を献策せよ、との命。時代が彼を求めているのだ……!

残念ながら、僕は市井に隠れた軍師ではありません。暇を楽しむ器量がない暇人です。「オレは今年で34歳にもなるのに、こんなダラダラしていていいのだろうか?」と自省してしまいます。といって、寸暇を惜しんで出版社などに営業活動をする勢いもありません。日々の生活を送りながら自然と思いついた企画を温めておき、機会を見つけて知り合いの編集者に提案する程度。我ながら緊張感がないなあ。

妻には「あなたは生きることへの必死さが足りない」と言われました。いや、あのー、本当に追い詰められたら何でもやると思うけどね…。仕事に忙殺されて必死になっていた頃は、自分で記事や書籍を企画することなんてできませんでした。暇になって自分自身と向き合う時間ができて、「目の前の仕事」という言い訳がなくなって、初めて企画を考えられるようになりました。ブラブラするのも楽じゃないんだぜ…。

ええっと、つい愚痴になってしまいました。
僕もここまで言うのなら「金をあまり使わずに暇を楽しむ」人生を覚悟しなければなりません。楽しめない暇時間は、不機嫌の原因になってしまいますからね。

僕がこの2ヶ月ほど取り組んでいる「暇つぶし」は、中国語学習です。
毎週木曜日に格安の中国語スクールに通い、予習復習も徹底的にやっています。懐かしい「単語カード」まで作成。暇さえあればペラペラめくって単語量の増大に努めています。

お勉強をこんなに必死にやるのは大学受験以来ですが、無性に楽しい。毎日少しずつでもレベルアップする実感を得られるところが、元ガリ勉少年の僕にはぴったりなのでしょう。「東アジア共同体時代を目前に控え、中国語を身につけておいて損はない。ついでに漢詩や唐詩も学べば教養も深まっちゃうし。これは自己投資だ」という自分への言い訳もあります。中国語を仕事に使う予定はまったくないのですが……。

とにかく中国語を勉強している時間は、「暇を持て余している」という自己嫌悪は薄れ、むしろ「自分を成長させている」という自己肯定の高まりを感じます。限りなく勘違いですけど、それでやっかいな「成長願望」が満たされるのならいいのです。

アフターファイブで「お稽古」をしたがる人々の気持ちが、最近はすごくわかります。無為な暇つぶしでもいいのですね。機嫌よく過ごすことが人生において何より重要だと思うから。

あ、考えてみればこのブログも僕の好きな暇つぶしですね。
「テーマフリーの原稿を書く訓練だ」という言い訳もできるので、かなり気に入っています。
今日もここまで1時間半ほど楽しく過ごすことができました。
さすがにそろそろ仕事の原稿を書こうかな…。
by jikkenkun2006 | 2010-09-05 17:27 | 週末コラム | Trackback | Comments(5)

「おしゃべり」大好き!

こんにちは。大宮です。
熱中できる趣味がある人って「生き方上手」ですよね。
なんというか、一人の時間が充実している気がします。
プラモデルでもパッチワークでもゲームでも釣りでも、ハマれる人はいいなあと本気で思います。
僕の唯一の趣味らしきものは映画鑑賞ですが、1日2本以上観ると頭が混乱するというか疲れてしまうので、暇な一人時間を持て余してしまうことがあります。一応、言葉を使う仕事なので、読書は完全な「趣味」とは言えないし。あーヒマだ、早く明日にならないかなあ。

なぜ「明日」を待ち望むのかといえば、気の置けない友だちと久しぶりのランチ予定だったりするからです。居心地のいい店でおいしいものを食べながらいろんな話題でおしゃべりするって最高ですよね。3時間ぐらいは飛ぶように過ぎてしまいます。

では、僕はどうしてこんなにおしゃべり好きなのでしょうか。自己顕示欲や寂しがりといった要素ももちろんあるのですが、「気軽に口に出すことでぼんやりした考えが少しずつ形になっていき、その過程で別のアイディアが浮かんだりすることがある」瞬間がすごく気持ちいいからだと思います。

例えば、普段から「この人は素敵だなあ」とぼんやり思っている先輩ライターがいたとしますよね。で、友人との会話に出てきたとします。

大宮「あの人の文章というよりも、生き方の柔軟さがいいなあと思うんだよね」
友人「わかるー。私もそういう年上が好きだから。もしかすると、自分たちに欠けているところに惹かれるのかもね(笑)」
大宮「そうそうそう! 俺たちは真面目すぎるからさ。筋は通っているけれど柔らかい感じの大人っていいよね。ん? このステーキもずいぶん柔らかいね…」
友人「柔らかい肉を好きなのって日本人だけらしいよ」→ここからお肉トークに移行

こんな風に青臭い話題もOKだけど話が飛んじゃってもいいよね、という気軽で親密な雰囲気でおしゃべりがしたいのです。いいことも悪いことも口に出しちゃえば、頭や腹の中で腐敗して自意識過剰や自己嫌悪に陥ることなく、自然と「よーし、そろそろ働こうかな」とか「今夜の料理はがんばろう」といった前向きな気分が高まります。

ただし、おしゃべりする相手選びは重要ですよね。
自分の話ばかりして聞く耳を持たない人(僕にもこの傾向があるので自戒を込めて)、自説の正しさを信じすぎている人(某宗教団体の信者とか。結論が決まっているなら会話する意味ないじゃん!)、話が全然かみ合わない人(揚げ足ばかり取る人)などは、慎重に避けねばなりません。
こういう人たち会話は、続ければ続けるほど少しずつ気が重くなってくるし、大げさに言えば自己肯定感みたいなものが薄れていく気がします。そんなの「趣味」とは言えませんよね。

と、いろいろ書いていて思うのですが、このブログも僕にとってはおしゃべりみたいなものかもしれません。こないだ久しぶりに会食した女友だちがこんなことを言ってくれました。

「食生活ブログ、たまに見ているよ。一般的な意見を書く前に、自分の気持ちや状況を素直に書いているところがグッド。70点あげる(笑)」

読書家の彼女が共感してくれたのは嬉しかったです。及第点は80点なのかもしれませんが…。

このブログに限らず、書き進めながら自分の意見が変わったり固まったりするような文章を書いていきたい。笑いながら反論したり共感したりしてくれる、気の合う読者(あなたです。マジで)を念頭に置きながら。

あれ? いつの間にか趣味ではなく仕事の話になっちゃってる……。
食事時のとりとめのない会話みたいな文章になってしまいました。
ま、いいか。
また「おしゃべり」に付き合って下さいね。
by jikkenkun2006 | 2010-03-28 22:24 | 週末コラム | Trackback | Comments(3)

「俺マーキング旅行」に出かけたい

こんばんは。大宮です。
小学校時代からの友人に「道オタク」の男がいます。
大きな白地図を常に車に積んで、休日ごとに一人ドライブをして、走った道を蛍光ペンで塗りつぶす。車道だけでなく、船や飛行機を使って航路や空路までも辿っています。
目的地ではなく「目的道」を楽しむ男なのです。

「道の場所によって蛍光ペンの色を変えているけど、何か意味があるの?」
「行った日付ごとに色分けするようにしているんだよ。例えば、この国道は一日で走破するのは大変。色分けしておくと、数日にわたって走り潰した苦労をしみじみと思い出せるでしょ」
「ふ、ふーん」

彼の変人ぶりを笑っていた僕ですが、この頃は自分も若干「道マニア」の傾向があることに気づきました。出張や旅行の際は、必ず県ごとの『るるぶ』を購入し、移動しながら地図を凝視しているのです。景色を楽しむなんて二の次。現地に着いて旧友と再会したり地元のおいしいものを食べたりすれば満足し、温泉とか観光とかはほどほどにして早く東京に帰りたくなります。

僕は幼い頃から小心者&方向音痴で、外に遊びに行くときはほぼ必ず兄にくっついていました。自信を持って一人で出かけられる範囲は自宅から半径30メートルぐらいだったと思います。臆病で虚弱な室内犬、みたいですね。

恥ずかしながら大人になってもこの性格は変わらず、旅行に出かけるときはいつもドキドキしています。前夜までに、宿泊場所を予約して電話番号を控え、現地の地図を用意し、交通機関の時刻を詳細に調べて余裕のあるスケジュールを作り、手土産を買い、荷物を確認しなければ、不安で眠ることができません。

それでもなぜ旅行に出るのかといえば、見聞を広めたいという前向きな気持ち以上に、「自分が安心できる範囲を確かめたい広げたい」という内向きな目的があるからです。あちこちにマーキングをして俺の縄張りだとカン違いしているバカな犬、みたいですね…。

ここ数年は、飛行機もしくは電車で行ける国内旅行ならば、なんとか一人で行けるようになりました(海外旅行は弟、車旅行は妻に同伴してもらっています…)。寂しがりなので現地に夕食を一緒に食べられる友人が住んでいることが望ましいのですが。
で、旅行中や前後に地図をガン見しながら安心するのです。この場所には足を踏み入れたことがある、特に怖いことはなかった、むしろ真面目で親切な駅員さんがいた、などと振り返りながら。

だいぶ暖かくなってきました。今年も地図を片手に「俺マーキング旅行」に出かけようと思います。
by jikkenkun2006 | 2010-03-05 22:49 | 週末コラム | Trackback | Comments(2)

「女遊び」というより「女しゃべり」がしたい

こんばんは。大宮です。
中学生ぐらいのときに自分は「ムッツリスケベ」であることに気づき、大学時代の後半になって「女好き」だと開き直りました。
正確には、女性そのものではなく、女性にちやほやされることが好きなんです。お世辞でもいいので「大宮さん素敵ね」と慰めてもらえると、淡い性欲混じりの喜びに満たされ、明日もがんばって働く気持ちが高まります。
子どもの頃はスナックでママさんに甘える中年男性たちを理解できなかったのですが、33歳の今、その仲間入りをしつつある自分がいます…。

ただし、最近は、女友達とのとりとめのないおしゃべりをすること自体が楽しいことを発見しました。
男同士の会話だと、「どちらが強いか賢いか」という競争心を払拭することができず、常に少しだけ緊張しています。また何らかの目的(お互いに必要な情報を交換する、知的好奇心を満たす、など)を持った会話になる傾向が強くなりがちです。
これはこれで前向きで有益なコミュニケーションなのですが、体のどこかで欲求不満が溜まっていきます。

で、女友達(妻を含む)もしくは女性的な男友達(ゲイという意味ではありません。おばさんみたいな男性っていますよね)との会話を思い起こすと、純粋というか無目的なコミュニケーションをしていることに気づきます。「この漬け物を食べるとお酒が飲みたくなるね」「おばあちゃんの具合が心配なの」「イスタンブールにいつか行ってみたい」「このところ西荻の南口が熱い」「まんじゅうを半分ずつ食べよう」など話題は何でもいいのです。おしゃべり自体が目的なのだから。
「女遊び」のときは自らの性を意識しますが、こういう「女しゃべり」のときは自分が男性であることを忘れて、ワイワイキャーキャー盛り上がってしまいます。

いつの頃からか、僕はコミュニケーションに「目的」や「利益」を求めるようになっていました。
仕事や生活に役立つ情報を確保するため、モテるため、自分を高めるため、などなど。
でも今は、衣食住と同じレベルで、コミュニケーションも「体に必要なもの」だと感じ始めています。そのヒントと解決策は、「男しゃべり」でも「女遊び」でもなく、「女しゃべり」にあるのではないでしょうか。
by jikkenkun2006 | 2010-01-31 19:44 | 週末コラム | Trackback | Comments(5)

「プロジェクトチーム」を自作する

こんばんは。大宮です。
大晦日なので、週末ではなく年末コラムを書きたいと思います。
来年の目標、という相変わらずの極私的テーマですが…。

最近、「他人と力を合わせる」っていいなあと感じています。
当たり前のことですが、この現代社会が存在しているのも人間が協力をできる動物だからですよね。虎が進化しても「すごく強い個虎がゴロゴロ」という状況にしかならないはずです。

僕はフリーライターなので「俺は虎だ。サルどもとは違う!」などと強がることもありますが、まとめ役の編集者がいなくては仕事ができません。で、その編集者が所属する出版社から報酬をもらって暮らしています。虎というより鵜(う)ですね…。

編集者と一緒に企画を作って実現するのも楽しいのですが、編集者はパートナーであると同時にお客さんでもあるので、まったく対等な関係にはなれません。会話の内容とか微妙に気を使うんですよね…。本当に「力を合わせる」ためには、肩を組むようにして進める関係性が必要な気がしています。

といって、会社員に戻るつもりもありません。就社1ヶ月ぐらいで息苦しくなるのが目に見えているから。
参考になるのは、数々の名作映画です。『7人の侍』、『大脱走』、『13デイズ』、『アルマゲドン』、『ミニミニ大作戦』、『オーシャンズ11』、『ミュンヘン』……。いずれも「その道のプロ」たちがプロジェクトのために一時的に集まり、綿密なコミュニケーションをしながらそれぞれの得意技を発揮するという内容。観ているだけで興奮するなあ。俺も登場人物の一人になってみたい…。

で、思いつきました。僕もチームワークを勝手にやってみればいいのだと。戦争や犯罪や隕石破壊などは無理だけど、「言葉を売る」というプロジェクトチームならば参加できます。

僕の得意技は、「見聞き体験したものを面白くわかりやすく自分なりの視点で書く、話す」です(あくまで自己評価ですが)。でも、他には何もできません。少なくとも売れるような技はない。実務全般が苦手だし(請求書を1枚書くのにすごく時間がかかります)、イラストも写真もデザインも印刷もできません。イベントなどの場を仕切ったりするのも下手です。はっきり言って、「形にする力」「実現力」が乏しいんですよ。ライターの分野でも、網羅的に情報を集めたり定量的に分析したりするのは不得意です。

ならば、補完し合えるようなプロに声をかけ、チームを作り、自主プロジェクトを進めていけばいいじゃないですか。恋愛や会社と違って「浮気」「兼業」はOKなので、プロジェクトごとに異なる人と交わることができ、飽きることもない。浮気性の僕にはぴったりです。

ポイントは、それぞれが得意技を持っていると同時に、「すぐに金にならなくてもやりたい」と思える企画を共有することだと思います。なんとなく集まっても、単なる飲み会で終わってしまうでしょう。

で、ここ数ヶ月かけてそんな企画を10本ほど作りました。手帳のメモ欄に書き留めてあります。電車などでときどき眺めては「この企画は誰とやろうかな…」と考えたりしています。うーん、楽しい。

春先までに2、3本は実行する予定です。頓挫したり喧嘩したり失敗したりする可能性も大いにありますが、やるだけやってみよう。久しぶりに前向きな年末を迎えています。
by jikkenkun2006 | 2009-12-31 18:14 | 週末コラム | Trackback | Comments(2)

親から贈られた「文化資本」と「性格資本」

こんばんは。大宮冬洋です。
立冬の今日で33歳になりました。
33年前、「海は広いな大きいな」と海マイブームに浸っていた空想科学ライターの父、信光。そのとき生まれた僕。
「冬に生まれた赤ん坊。ところでオイラは海が好き」ということで「冬洋」と命名。単純だなあ…。
一日早く生まれていたら「秋洋」などと名付けられていたのでしょうか。

さて、誕生日ぐらいは両親のことを考えてみたいと思います。
たまたま読み返していた本に面白い記述がありました。
フランス現代思想学者の内田樹(この人も変わった名前なので親近感があります。タツルって読めねーよ)が、ピエール・ブルデューという社会学者が構築した「文化資本」という概念を紹介しています。

<「文化資本」には、「家庭」において獲得された趣味や教養やマナーと、「学校」において学習して獲得された知識、技能、感性の二種類がある。
 家の書斎にあった万巻の書物を読破したとか、毎週家族で弦楽四重奏を楽しんだので絶対音感になってしまったとか、家にしょっちゅう外国から友人が来るので英語フランス語中国語スワヒリ語などを幼児期に聞き覚えてしまったとか、家伝の武芸を仕込まれて10代で免許皆伝を得てしまったとか、家のギャラリーでセザンヌや池大雅を見なれて育ったので「なんでも鑑定眼」が身についてしまった……などというのは前者である。
(中略)
 育った環境で自然に身についた芸術鑑賞眼の持ち主には「余裕」があるのである。「そうとは感じられないうちに早期からはじまり、ごく幼い時期から家庭で行われる体験的習得」を通じて芸術鑑賞の能力を身につけたものと、「遅くからはじまり、系統的で加速された習得形態」を通じて同じ能力を身につけたものでは、作品を前にしたときの「ゆとり」に差が出るのである。>(内田樹『街場の現代思想』文春文庫)


身も蓋もない言説ですが、その通りですよね。
内田氏は、フランスなどはこの「文化資本」の多寡ではっきりと階層化された社会であると指摘し、現代日本も次第に階層社会(経済格差社会より深刻)になりつつあると危惧しています。
では、どうすれば昔ながらの日本社会を保てるか。知りたい方は上記の本を買ってください。

僕は日本社会ではなく我が身を振り返ります。
貧しかった大宮家には楽器や有名絵画はありませんでした。友人知人を招くような部屋もなく、家族での海外旅行経験もありません。茶道などの伝統芸能に触れる機会もなかったなあ。

で、今になっていろいろと習い事をしているのですが、「着物で抹茶を立ててモテたい!」とか「キリスト教をざっと学んで宗教画のウンチクを言ってみたい!」などという下心が先立ってしまい、自然に身につけることができません。
母親が華道の師範だとか幼い頃から教会に通っていたような人は、かもし出す雰囲気が違いますよね。聞きかじったような知識を披露している自分が恥ずかしくなります。文化資本パワー、恐るべし!

大宮家のほぼ唯一の文化資本といえば「読書習慣」ぐらいです。
あばら家の床がひしゃべるほどの膨大な本に囲まれ、両親ともに読書と談笑が好きでした。
何にもないけれど本と笑いだけはある貧乏生活。あれはあれで楽しかったな…。
そのおかげで僕は、言葉を売る職業で細々と稼ぎ、ほぼ満足して生きていられるのでしょう。親に小さく感謝。

文化資本の話からはずれますが、もう一つ親からもらったものがあります。
「ズル賢くなれない」という性格資本(いま造った言葉ですけどね)です。

僕は人並み以上に自己愛と嫉妬心が強く、基本的には他人の幸せなんかどうでもいいと考えています(文章にするとホントに嫌なヤツだな…)。自分が相対的に幸せになるためなら、他人の不幸を密かに願ってしまうこともあります。大好きだったあのコの結婚式では、「早く離婚して俺のところに来ますように」と魔神に祈っちゃったなあ。
そんな僕が非道に染まりきらないのは、「ズル賢いのは不潔」という両親から植えつけられた性格資本がストッパーになっているからです。

誰かを貶めるために巧妙な噂をばらまくとか、自分主催の会合(合コンとか)で自分だけがオイシイ思いをするとか、強きをたすけ弱きをくじく、などのズル賢い言動をやりたくてもできないのです。

いや、ズル賢くなることもありますよ。でも、必ず激しい自己嫌悪に襲われて自滅します。
中学校時代にはいじめをしたことがあります。しかし、最終的には嫌になっていじめられっ子をかばい、今度は僕がいじめのターゲットになってしまいました。
会社員時代、ダメ社員だった自分を棚に上げるために、より仕事のできないスタッフの陰口を楽しんでしまったことがあります。数ヵ月後に我に返り、僕はその会社を辞めました。
フリーライターになってからも同様です。権力があって威張っている人に一時的にはすり寄るものの、次第に自分が嫌になって爆発し、わざとその人を挑発するような態度をとって不要な恨みを買っています。

「ズル賢いのは不潔」という性格資本は、この日本社会においては必ずしも有益ではないのかもしれません。むしろ、だんだん孤立するんですよ。最初は雰囲気に流されているくせにいきなり潔癖になったりすれば、周囲から疎んじられるのは当然です。それでも辛抱強い友だち(僕と同じ性格資本を持っている人が多い)は残ってくれますけどね。

処世術的には足枷でしかない、この性格資本。でも、「ほんとうに人間らしく生きる」ことを目指すならば、これ以上の贈り物があるでしょうか。
立冬は寒く厳しい季節の到来を告げています。遠い昔、親から受け取ったはずの誕生日プレゼントを改めて自覚し、孤立の痛みを恐れず、しぶとく楽しく生きていきたい。
by jikkenkun2006 | 2009-11-07 03:38 | 週末コラム | Trackback(1) | Comments(5)