「モテたい」心の本質とは

 こんばんは。大宮です。
 みなさん、GWをいかがお過ごしでしょうか。僕は自宅にひきこもって「モテ」についてモジモジ考えたりしています。

 先日、学生時代の先輩が素晴らしい本を貸してくれました。その名も『モテたくて…』(光栄)。週刊『SPA!』の名物コーナー「バカはサイレンで泣く」などで活躍している天久聖一と椎名基樹が、ひたすら「理想のモテ」について考察(妄想)しています。最高だよ。絶版なのは惜しすぎる!

 同書に収められている「俺トピア」という連作マンガは、黄色い野球帽をかぶったヘンな男(おそらく著者そのもの)が、何もしていないのに、多数の水着美女にモテまくるという非常に都合がいい内容。くだらなすぎるのですが、僕が抱いているモテの理想像を端的に表現していて、びっくりしました。

 興奮して、昨夜一緒に飲んだ仕事仲間(女性)に感動を伝えると、激しいツッコミを入れられてしまいました。

「内面ではなく表面だけがキレイな女性が不特定多数寄ってくるのが嬉しいって、女性を人間扱いしてない証拠じゃないですか? 髪の毛がサラサラな美男子なら別ですが、大宮さんのような人が目指すべきモテって違うでしょ。文章の面白さとか性格の素直さとかでなら、女性に好かれる可能性はあると思います。でも、それって内面でモテているということですよね。なのに、大宮さんが女性の内面を見ないのは矛盾だと思いませんか!」

 飲みながらのバカ話なのに、ここまで論理的に攻められるってすごくないですか? 僕はうつむいて、何も言えなくなってしまいました。

 反論はできませんが、説明を試みたいと思います。

 まずは、「モテ」と「友情や愛情」とは異なる概念であると主張したいのです。友情や愛情は主観的な内面の交流であるのに対して、モテとは「何も努力しないのに美女たちに囲まれているうらやましい男がいるぞ! あれ?もしかして俺?」という第三者の視点での発見です。
 源流を辿ると、中校生時代に「イケメンで笑顔が自然なサッカー部エース」が学年の女性人気をほぼ独り占めしていたというトラウマがあります。なぜ、俺ではなくて山本なのか。一週間でいいから山本になってみたい…。

 もう一つ言いたいのは、「状況次第で天使にも悪魔にもなれる内面よりも、揺るぎない価値としての外見で評価されたい」という願望です。この点については、内田樹が卓抜した見解を披露しているので、引用したいと思います。

<私は若かりし頃、ある女性に「ウチダくんて性格最悪だけど、顔が好き」と言われたときにそのまま昏倒しそうになったことがある。
 この女性はあるとき私のTシャツ姿をしみじみ見ながら「私、ウチダくんの三段腹が好き」と言ったこともある。
 オトコゴコロのかんどころを押さえた端倪すべからざる女性であったと言わねばならない。「いい人だけど顔はイマイチ」と言われるのと「ワルモノだけどいい男」と言われるのと、男たちはどちらを選ぶか。
 答えは明らかである。
 というわけで、配偶者をお求めの女性諸君には、標的とされた男性については、まず「隠れたる才能を評価し」、ついで「ルックスを称える」という二段構えで攻撃した場合、きわめて高い確率で所期の成果を挙げうるということをご教示しておきたい。
(中略)
 男が待望しているのは、「それが備わっているのかどうか、ちょっとだけ自信がない」美質についての「保証」のひとことだけなのである。>
(内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』文藝春秋)

 つまり、ルックスの良い女性から求められたいという気持ち(=モテ願望)は、己れのルックスへの自信のなさの表れであると言えます。

 貧弱な羽根しか持てなかったオス孔雀が、豪華絢爛な羽根でメス孔雀を独占する仲間に嫉妬し、憧れ、「クェー!」と甲高く鳴く。その悲痛な声こそ、「モテたい」心の本質であります。あまり舌鋒鋭くいじめないで下さいね…。
by jikkenkun2006 | 2009-05-03 23:58 | 週末コラム


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