「女遊び」というより「女しゃべり」がしたい

こんばんは。大宮です。
中学生ぐらいのときに自分は「ムッツリスケベ」であることに気づき、大学時代の後半になって「女好き」だと開き直りました。
正確には、女性そのものではなく、女性にちやほやされることが好きなんです。お世辞でもいいので「大宮さん素敵ね」と慰めてもらえると、淡い性欲混じりの喜びに満たされ、明日もがんばって働く気持ちが高まります。
子どもの頃はスナックでママさんに甘える中年男性たちを理解できなかったのですが、33歳の今、その仲間入りをしつつある自分がいます…。

ただし、最近は、女友達とのとりとめのないおしゃべりをすること自体が楽しいことを発見しました。
男同士の会話だと、「どちらが強いか賢いか」という競争心を払拭することができず、常に少しだけ緊張しています。また何らかの目的(お互いに必要な情報を交換する、知的好奇心を満たす、など)を持った会話になる傾向が強くなりがちです。
これはこれで前向きで有益なコミュニケーションなのですが、体のどこかで欲求不満が溜まっていきます。

で、女友達(妻を含む)もしくは女性的な男友達(ゲイという意味ではありません。おばさんみたいな男性っていますよね)との会話を思い起こすと、純粋というか無目的なコミュニケーションをしていることに気づきます。「この漬け物を食べるとお酒が飲みたくなるね」「おばあちゃんの具合が心配なの」「イスタンブールにいつか行ってみたい」「このところ西荻の南口が熱い」「まんじゅうを半分ずつ食べよう」など話題は何でもいいのです。おしゃべり自体が目的なのだから。
「女遊び」のときは自らの性を意識しますが、こういう「女しゃべり」のときは自分が男性であることを忘れて、ワイワイキャーキャー盛り上がってしまいます。

いつの頃からか、僕はコミュニケーションに「目的」や「利益」を求めるようになっていました。
仕事や生活に役立つ情報を確保するため、モテるため、自分を高めるため、などなど。
でも今は、衣食住と同じレベルで、コミュニケーションも「体に必要なもの」だと感じ始めています。そのヒントと解決策は、「男しゃべり」でも「女遊び」でもなく、「女しゃべり」にあるのではないでしょうか。
by jikkenkun2006 | 2010-01-31 19:44 | 週末コラム


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